人に説明できない曖昧な時間をどれだけ持てているか

Posted on 2009年12月02日 水曜日

昨日、客満堂でサンノゼからのお客さんと懇談していて、

ふと出てきた言葉が

「人に説明出来ない曖昧な時間をどれだけ持てているかが、

その人の真の豊かさを示すよね。説明できる時間ばかり

ではつまらない」

それを早速TwitterでツイートしたらRTやレスしてくださる

方が多く、若干説明が必要なので、ブログであらためて

説明します。

ぼくは海が好きで、海のそばに住む空気感も好きなので葉山に住んで

いるんだけど、ここのところの忙しさで、葉山を味わう時間が全く取れない。

「そうですか、忙しいんですね。どういうスケジュールなんですか?」

「倉敷行って、コンサルティングして、原稿書いて、南青山

のZOE行って、打ち合わせして・・・」

ここ。ここなんです。ほら、すべて、人に説明できる時間ばかりでしょ?

ところが、葉山にいて、海見て、砂浜歩いて、空気吸って、風を感じて、

ぼやーーーーーーーーーーーーーーーっと波頭を感じている

というのは、人に説明はできても共感はしてもらいづらい

「ふーん、そうですか」

で終わる。

これは別に他の何でもいいんだけど。

ただ何となくベッドの中でぼんやりしたまま横になっている、とか。

その気持ちよさ、充実感は、他人に理解してもらえるように説明することは

できない。そして、そのような「説明しづらい曖昧な時間」がどれくらいあるか。

それこそが、真の豊かな時間、豊かな生活、豊かな人生といえるんじゃないかな。

ということです。伝わった?

bikankou

写真は倉敷美観地区紅葉。美しいね。