Archive for 10月, 2009

[8-4]マネジメントなど、できない

日曜日, 10月 25th, 2009

哲学者ダニエル・デネット(Daniel C. Denett)によれば

(正確にいうとぼくは原書を読んでいないので翻訳者の山形浩生によれば)、

自由とは、ぼくたちが何かをできるようになることである。

この論でいくと、ダイキンが新型インフルエンザウィルスを100%除去できる

空気清浄機を開発したことは、それだけ人類の自由を広げたことになる。

「それまでできなかった何かをできるようになる」

「遺伝子で制限されていた能力が拡大し、文明なり技術なりのおかげで

できるようになる」

ことがデネットのいうところの自由である。

ここには、「こうすれば、こうなる」という線形論理が働いている。

ホーケンのスタンスはこれとはまるで逆だ。

私たち人間は、ふりかかってくる大量の問題を手中にし、何とか

マネジメントしてやろうなどと思わないことだ。そんなことは不可能だと

推論できるだろう。   (p.328)

「何が起こるかわからない」現実を相手に商売している商売人としての

ぼくの体感覚でいうなら、やはりホーケンの言う通りだなあ、と思う。

「こうすれば、こうなる」とわかるのなら、商売の醍醐味なんて、ない。

だとすると、デネットの自由の定義には賛成できないことになる。

いや。賛成するもしないも、そもそも商売にとっての自由は何かを

考えればいいのか。

そしていつも言うように、商売はやるか・やらないかであって、

自由の定義など、実はどうでもいいのである。

ホーケン自身、上手な商売人だからなあ。

翻訳の意味

土曜日, 10月 24th, 2009

今日も、原文テキストに沿って考察を進める本ブログの

流れとは少し離れるが、別のことを書いてみよう。

このブログ、原文テキスト通りに進めているので、最終章の8章が

終わると、必然的にブログそのものの存在意義が消える。

だから、書くことがなくなったらブログも終わるのである。

終わったら、どういう扱いにしようか、決めていない。

Webの中の記念物扱いで残すのか、潔く削除してしまうのか、

そのへんはいざその時になってからの気分で決めようと

思っている。

さて、今日は、「Blessed Unrestをぼくが翻訳するようになった意味」

について考えてみたい。

本人が意識している意味は、著者ポール・ホーケン

へのリスペクトなのだが、しかし、ホーケンは常に前進している人で、

その前の翻訳『ビジネスを育てる』とはまるで違う。それはそうで、年代も違う

から仕方ないのだが、実質一つ前の共著『自然資本の経済』とも全く

違うのである。文体そのものからして違う。いやはや、『Blessed』の文体は

はっきり言ってしまえば、晦渋そのものであり、これまで数かず翻訳

してきた原書の中でもベスト1に堂々ランキングされるほどの難物だ

(ちなみに2位は『ブランド・マインドセット』)。

しかし、新しい思想は新しい語彙と文法を必要とするのであり、

その意味では、本書はホーケンによる壮大な実験といえる。

また、アプローチも新しい。

環境をテーマにしていながら、なぜ歴史的アプローチをしているのか、当初

は全く理解できなかった。

ただ、「ぼくが翻訳する意味」という観点から論を進めると、やはりいまとなっては

理解できるのである。

というのも、ホーケンは、本書で、「イデオロギーやだれか一人のカリスマで

地球を動かすようなことはないよ」と言っている。人類史は長く覇道の歴史で

あって、だれか一人の「アブラギトギト」の野心家か、あるいは、洗脳されまくった

グループが「人々のためになる」というイデオロギーのもとに何とか世界を

モノにしようとしてきた歩みだ。そしてそれらの歩みはことごとく失敗

している。

そして。

ちょうど翻訳に精を出しているそのとき、ぼくはビジネス2.0を提唱し始めた

頃である。

しかし、ビジネス2.0というのも、まあ、言ってみればイデオロギーと

言えるのである。

「世界にJOYとWOWを」というわが社のビジョンを、では、実行するのは

JOYWOWという会社とコンサルタント「だけ」なのか?

というと、明らかにそんなことはない。

それくらいは、さすがのぼくでもわかる。

しかし、では、だれと手を組むとか、だれと何をするのだろう、となると、

いまひとつ、絵が見えていなかった。描き切れていなかった。

それが、「ボトムアップの運動」という鍵をもらったとき、「JOYWOW大使」

というコンセプトを得たのだ。

ぼくが大いなる勘違いをして、ビジネス2.0というイデオロギーのもと、

おかしな方向へ走らないよう軌道修正してくれた。

翻訳の、ぼくにとっての意味の一つは、ここにあると思っている。

本題とは離れるけれど

金曜日, 10月 23rd, 2009

このブログは『祝福を受けた不安』の世界をより深く理解し、現実に

行動するための思索材料に資す目的で書いています。

そんな中、同じ版元の同じ担当編集者・安藤さんからめちゃくちゃ

面白い本を寄贈いただいた。山形浩生さんの新作

『訳者解説』(バジリコ)である。

 もちろん、山形の訳す分厚い本を読もうなどという人は、平均より

理解力もあれば知的好奇心も高い人だろう。が、一方で日本の読書

人たちの「平均」がいかに低レベルかを侮ってはいけないとも思う。

 たとえば少し下火にはなっているけれど、新書ブームというのがある。

そこでベストセラーになった本を書店で立ち読みすると、ほとんどは、

一行ですむ話を一章、いや一冊に引き延ばしているだけ。そして

アマゾンのレビューなどを見ると、多くの人はその一行すらきちんと

理解できていない。

 一般読者だけじゃない。新聞雑誌で書評と称するものを書いている人は、

一応は平均的な読者より見識も高く、読解力もある人のはずなのに、

度し難いバカだらけだ。本のあらすじを書いて最後に「深く考えさせられる

一冊である」とつけるだけの、小学生の読書感想文みたいな書評が山ほど

ある。いやこれならまだ害は少ない。多くは本そのものをきちんと読まず、

本をネタに何やら自分のイデオロギー開陳に精を出すだけ。p.9

 

 まさに拍手喝采である。

ぼくが言いたいことを、ズバリ、言ってくれている。

[8-3]足元を見直す

水曜日, 10月 21st, 2009

世界を変えたければ人は自分自身の行動を変えなければならない。

それは、家庭、使用エネルギー、農業方法、食習慣、移動方法、そして

コミュニティ全般にも言えることだ。まずは自分の足元を見直すこと。

(p.323)

住んでいる地域の話。

ゴミはゴミステーションの場所が決まっていて、曜日によって

出していいゴミの種類が決まっている。

一番にステーションに行った人がゴミのカゴを組み立てる。

ずっとこの役割はぼくだった。

ところが、半年ほど前から、ぼくより早起きさんが出てきて、

その人が組み立てる。それはありがたいのだが、ちゃんと

していないのである(笑)。カゴは上下二か所で留める留め金

でしっかり組むようになっているのだが、彼(または彼女)は

上しか留めない。だからカゴはぐにゃり、としていて、用を

なさない。

そして彼(彼女)の出すゴミそのものもいい加減なのである。

種類がめちゃくちゃ混ざっている。思うに、葉山に来る前は都会のマンションに

暮らしていた人なのだろう。マンションのゴミステーション

では往々にしてこのような「混合ゴミ」でもその匿名性の

影で隠れてわからないものだ。

しかし。

彼(彼女)も、街中でインタビューされたら「地球環境は守らなければ

ならないと思います」と答えるだろうし、本人も、そう思っている

はずである。

足元を見直す、というのは、まずはこういうところからではないか。

[8-2]新型インフルエンザの意味

火曜日, 10月 20th, 2009

人体内で共時的に起こっている10の24乗もある活動を総称して「回復力」

と呼ぶ。このずば抜けた回復力のおかげで、身体の求めるまま乱暴に応じる

ことができているのだ。たとえば、ファストフードをかきこみ、アルコールと

麻薬で自らを痛めつけ、汚染された空気に住んでもなお生き続けることが

可能だ。  (p.317)

この文章を書いているちょうどいま、日本では新型インフルエンザのワクチン

を接種し始めていて、優先順位の高い医療関係者が昨日から。

一回でいいのか、やはり二回必要なんじゃないか、とみんな、おっかなびっくり

の議論をしている。

予防と同時に、次のことをやらねばならないのではないか、と着想した。

新型インフルエンザのウィルスが生まれてきた「意味」について熟考する。

人間と敵対する相手としてウィルスをとらえるのではなく、ウィルスも、

ぼくたち人間も、同じ一つの地球から生まれてきたのだから、

ひょっとすると、「ワンネス(oneness)」として考えることは

できないだろうか。

ぼくたちはウィルスであり、ウィルスはぼくたちなのであり、みんな一つ。

人間を死に至らしめるほどの毒をもったウィルスを生んだのは、

実は、人間そのものなのではないか。それが新型インフルエンザの

「意味」だとすると、さて、ぼくたちは何をするべきか。

生き方、さらにはあり方そのものを底から洗い直す。

ここから始まるのではないだろうか。

[8-1]本書の白眉

水曜日, 10月 14th, 2009

第八章「再生」は、本書の白眉だ。

地球と人間(の気持ち)、そして環境がここまで破壊され、それでもなお

希望は持つことができるのだろうか?

この純粋な問いに、ホーケンはYes、と断言する。

その根拠となるのが、この章なのだ。

全章を通して読む時間のない人は、この八章だけでも読むといいかもしれない。

このブログでも、ぼつぼつ、ゆっくりと、「再生」の章について

フォローしていきますね。

各駅停車のゆっくりさで

日曜日, 10月 4th, 2009

ちょっとごぶさたしていました。

JOYWOW初の自主制作・自費出版本『JOYWOW「あり方」の

教科書』を先週10月1日に発売したところ、サイトオープンと同時に

ご注文が殺到し、4日経った今日現在でも、まだオーダー

メールの数は衰えていない。

何しろこの本、企画、執筆、編集、校正、ブックデザイン、販売サイト

構築、受注、集金、梱包、出荷、など、ネット物販に関わるもの

すべてを自前でやっているので、オフィスは工場兼倉庫と化して

しまっている。さすがに印刷は外注したが、カードケースの組み立て

から、カードを順番に組んでケースに入れる作業も人力でやって

いる。もちろんぼくも役に立たないながらちょっと手伝っているので、

なかなかこのブログまでたどり着けないありさまです。

今日から最終章第八章に入ろうと考えていましたが、

上記のような事情のため、休んだり、書いたり、の日々になる

と思います。どうぞゆっくり、お付き合いください。

でも、このように自分がやっている活動そのものも、実は『祝福を受けた不安』の

たましいの部分を行動しているのだと考えています。

大切なことは、世界を解釈するのではなく、行動すること。カール・マルクスの言葉

でしたね。