Archive for 9月, 2009

[7-9]oneness

木曜日, 9月 10th, 2009

人間の持っている免疫システム、そう、免疫システムこそが人を他人と区別

しているのである。私たちは日々、瞬間ごとに、自身を防衛することによって、

「私が私である」ことを維持している。同時に私たちは「すべて」でもある。

私たちは他人の寄木細工だ。(7章扉)

「私が私である」ことは大変哲学的である。

一方、「私たちはすべてでもある」。

onenessワンネス、という言葉が浮かぶ。

ジョン・レノンがかつて歌ったように、

「ぼくは彼であり君は彼でありぼくたちはみんな一緒なんだ」。

これがどう環境問題と結びつくのか。

いましばし、おつきあいください。

[7-8]人体の自然発火?

水曜日, 9月 9th, 2009

7章扉に引用されているジェラルド・カラハンの書名を見て、

目を疑った。

spontaneous human combustion

つまり、人体の自然発火だ。

人体の自然発火? 何かのアナロジーなのか?

と調べてみたが、Wikipedia(→クリック!)に出てくるので驚いた。

実際に発火するみたいなのである。

スーパーサイヤ人じゃあるまいし、そんなことはないだろう、と思う。

ところが、これを書いているカラハンはコロラド州立大学の先生(→クリック!)

で、免疫学を専攻している立派な学徒だ。

まさか、怪しい超常現象だけを記述するために本を書くこともあるまい。

人体の免疫について考察する中で、どうしても必要あって、人体の自然発火に

ついて触れたのだろう。

『Faith, Madness, and Human Spontaneous Combustion』と

お読みになった方がおられたら、このあたりの疑問、つまり、

免疫と自然発火の関係について教えてください。

 

[7-7]塩のようなありふれ商品をどう売るか

火曜日, 9月 8th, 2009

昨日書いた「塩」という食品をマーケティング的にとらえると

とても興味深い知的刺激に満ちている。

なぜなら、食塩は、どの国でも、地域に根差した製造業者が大小あり、

しかも価格は安いし、調理の基礎となる食品だから、

消費者の嗜好や「クセの購買行動」(特に深く考えることなく

クセのように買ってしまう)で購入されがちな特性を持つ商品といえる。

そんな商品カテゴリーの中にある塩を、

「これにはヨードが含まれていて、身体にいいですよ。

これまでもヨード含有の製品はたしかに販売していましたが、

輸送、保存、調理のプロセスで、大切なヨードが流れ出てしまい、

食べる時には、言ってみれば『ヨード抜き』になってしまっているんですよ」

というような「腰をすえた説明」を添えて販売するにはどうすればいいか。

その答が、昨日もここで触れた、インド版ヤクルトおばさんの組織

Shaktiシャクティである。

商売のトライポッド(成功のトライポッド)

  triipod

のうち、下の二つ、つまり、コンテキストとデリバリーに

独特の創意工夫をしたわけである。

これも一つのブランド創造の物語だ。

[7-6]塩で病気を無くす

月曜日, 9月 7th, 2009

インドのHindustan Unilever(→クリック!)

の数ある製品群の中で、Annapurnaという塩はヨードを

含有している。インドでは7,000万人、インド総人口の20%の

人々がヨード欠乏症に苦しんでいる。

ヨードは食塩から摂取できるが、インドでは、ヨード含有しないノーブランドの

塩が安価で販売されており、貧しい人々は、ヨードが含まれていようと

いまいと関係なく安い塩を買う。そして、ヨード欠乏症にかかる。

ヨード欠乏症という健康問題は、従来 NGOが取り組んできた。

懸命の取り組みにもかかわらず、彼らに決定的に不足しているのは

マーケティング力、経営センス、財務能力だった。

やはり、民間企業のビジネススキルが必要なのだ。

「貧乏な人に必要なのは、水ではなく、高度なテクノロジーなのです」

Vindi Banga 、Hindustan Lever (Hindustan Unileverの前身、2004年当時)

会長の言葉だ。

高度なテクノロジーのおかげで安価にヨード含有の塩を製造し、

さらに、販売できるルートを開拓した結果、

インドの人々のヨード欠乏症も改善した。

Shakti(シャクティ)と呼ばれる、いわゆる、ヤクルトおばさんみたいな組織を

作り、独立自営の彼女たちが、インドの貧しい現場の隅々にまで足を運んで

販売する。うちの一人の言葉が印象的だ。

「I feel respected now」

この仕事をしているおかげで、自分の存在価値を実感でき、

「リスペクトされていることが嬉しい」

のである。いいね!

[7-5]ツムラ

日曜日, 9月 6th, 2009

ツムラ(→クリック!)

のビジネスの鍵は生薬。

良質な生薬を持続可能に入手するためには山の水の保全が

重要、ということで、植樹への出資などをして山の管理を

している。

個人や自治体ではなかなかうまくいかない山の水保全活動を、

企業の卓越した品質管理手腕でやってもらえるのは

ハッピーなことだ、と思う。

ニュースで語るツムラの担当者は

「(山の保全は)先行投資です」と言っていた。

いいね。

[7-4]びっくりドンキー

土曜日, 9月 5th, 2009

この週末は『ネクスト・マーケット』をお休みして、日本企業で地道に環境

問題に取り組んでいる会社を考えてみようと思う。ここでいう「地道に」

というのは、株主やいわゆる「ブームとして、ファッションとしてのCSR」では

なく、「自分たちのこととして」「持続可能なビジネスのために」環境問題に

取り組む姿勢のことを指している。

ハンバーグレストラン「びっくりドンキー」(→クリック!)

は10年前から環境問題に取り組んでいる。

具体的には、食材の米は契約農家から買い付けていて、その米は

減農薬、つまり、一回しか農薬を使っていない。

農薬を減らした結果、面白いことに、副産物として、

田んぼや周辺の水路に小動物が戻ってきた。

これには購買担当者も農家も驚いている。

また、ハンバーグの肉となる牛も、牛にとって快適な環境の放牧をしている。

「当たり前のこと」と言ってしまえば実もフタもないのだが、こういう地道な

取り組みは、「だれが見ている」わけではない企業活動の中で、「自律」と

いう言葉を連想させ、好もしく思う。

[7-3]インドの先進的眼科治療

木曜日, 9月 3rd, 2009

『ネクスト・マーケット』(原題はThe Fortune at the bottom

of the pyramid)付録CD-ROMにあるインドの眼科医療に

ついて見てみよう。

Aravind(→クリック!)のつくりあげた眼科治療システムは、

インド国内だけではなく、世界が参考にできる先進的なものだ。

技術もさることながら、そのコンセプトが。

Madurai (マドゥライ)を出発点に、現在は5つの拠点をもち

(他にはTheni, Tirunelveli, Coimbatore and Puducherry)、

年間240万人の患者を迎え入れ、28万5,000回もの手術をしている

(ウェブサイト記載、2009年9月3日時点の数字)。

医師一人当たりの施術数は一人2000回、これはインド国内の医師平均

が220回であることから考えると10倍近い(2004年時点の数字)。

治療費の支払えない患者には「後でいいよ」といい、支払いを迫らない。

結果、支払える一人が二人分の治療費をまかなう計算になっているが、

それでも十分経営は成り立っているし、「フランチャイズ」として医療施設を

増やせている。

医師にとっても、手術が多いことは勉強になり、仕事量を通常の40倍から50倍に

増やすことで、鍛えられる、と、何とも前向きな姿勢で、歓迎されている。

疲弊化、形骸化して患者も家族も疲れきってしまっている現代日本に「輸入」

したいほどの素晴らしい医療だ。

「インドの人口10億人に対し、私たち医師は11,000人しか

いません。だから、Aravindの仕事量を増やす仕組みは歓迎なのです。

一人でも多くの患者を診ることができますから」

こう話す医師の顔がまぶしい。

[7-2]BOP

水曜日, 9月 2nd, 2009

BOP、ボトム・オブ・ザ・ピラミッドという概念がある。

ミシガン大学のC.K.プラハラードが提出したコンセプトで、

一日2ドル未満で生活している世界40億の貧困層を

市場として考える、よりスケールの大きな企業活動の

ことを指す。プラハラードの言で示唆に富むのは、

・さまざまな問題に対して、「賛成か、反対か」という見方を捨てなければならない

・「グローバリゼーションに賛成か、反対か」という問いは適切ではない

・「貧困緩和に有効なのは小規模企業へのマイクロファイナンス(超小口

 金融)なのか、それとも多国籍企業なのか」という規模をめぐる論争も有益

 ではない。

という視点だ。

プラハラードがBOPについて書いた本、翻訳書『ネクスト・マーケット』(スカイライト

コンサルティング訳、英治出版)に基づいて、しばらく考えてみよう。

[7-1]西暦160年頃、ローマで既に

火曜日, 9月 1st, 2009

今日から第7章「免疫システム」に入ります。

時にパラパラとひもとき、神谷先生の清冽な日本語訳にこころを

洗う読み方をしている岩波文庫版『自省録』に、まさにこれから

ホーケンが展開しようとしている論と軌を一にしている文章を

発見した。

jiseir

長くなるが引用しよう。

「この胡瓜はにがい。」棄てるがいい。「道に茨(いばら)がある。」避けるがいい。

それで充分だ。「なぜこんなものが世の中にあるんだろう」などと加えるな。

・・・中略・・・

宇宙の自然は自分以外にはなにも持っていない。しかし、ここにその技術の

素晴らしさがあるのであって、自然は自分自身にかぎられておりながら、

その中において腐敗したり、老廃したり、不用になったりしたように思われるもの

をことごとく自分自身に変化せしめ、これらのもの自体から他の新しいものを

再び創り出すのである。こんな次第であるから、自然は自分以外の物質には

用がないし、老廃物を捨てる場所も必要としない。自分の場所、自分の材料、

自己独特の技術でこと足りるのである。

 マルクス・アウレーリウス『自省録』神谷美恵子訳、

  第8巻 50章(岩波文庫版p.160-161)