Archive for 7月, 2009

[4-1]エネルギーの循環で世界はできている

金曜日, 7月 17th, 2009

今日から第4章「エマソン、そして思想を受け継ぐ者たち」

に入ります。

エマソンは、言う。

「私は道徳の法則を植物から確信をもって学んだ。

畑にトウモロコシを植える。ここ17年、毎年6月の恒例行事だ。

植えた場所からストリキニーネが芽を出した試しはない。パセリ、

ビート、カブ、にんじん、クロウメモドキ、クリ、ドングリ。例外はない。

これと同じく、正義からは正義が、不正には不正が生まれるのだと

信じている」 (翻訳書p.138)

昨日、JOYWOWコンサルタントのいづみと話していて、意見が一致したのは、

人間を含む森羅万象、自然すべて、エネルギーが循環している、という点だ。

このエネルギー、何でできているのかは横に置いておこう。

とにかく、エネルギー。

プラスのエネルギーを、目の前の人に注げば、その人から出てくる

エネルギーはプラスだし、マイナスならマイナスだ。

相手は人に限らなくて、机でも、空気でも、ねこでも、

ゴキブリでも、すべてに言える。

だから自分がプラス・エネルギーさえ出していれば、

マイナスエネルギーを受け取ることはなくなるのだ。

環境問題に取り組むにあたり、この考えって、

実はとても役立つんじゃないかな、と思う。

[3-4]ビジネスという名の免罪符

木曜日, 7月 16th, 2009

パタゴニアの氷ビジネスに胸のざらつきを感じるのは、途方もなく

ビジネス1.0だからだ。要するに、金になるんだったら水でも土でも

何でも売りまっせ。安く仕入れて、高く売る。新しい価値を創造したんだから、

それに見合う対価を頂戴してしかるべきであって、自分のリスクを背負って

自分でスタートするビジネス、どこが悪いんだい? という「ビジネス免罪符」

のにおい。ホーケンは、言う。

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 ビジネスは、価値を創造しているという誰も文句の言えない論拠を武器に

自らの権利を正当化するが、見逃してはならないもう一つの側面をうまく

切り抜けようとする。そのビジネス活動のプロセスにおいて、他方、一体

どれだけの価値を破壊しているのか、という側面をだ。ビジネスが生み出して

いるとする価値は、環境からは「資源や略奪」という形式をもって、あるいは、

人間からは「賃金、労働条件、労働者の健康」という形態でもって奪い取った

ものではないのか。価値算出の中にはこれらの要素は大きく欠落してしまって

いるはずだ。レイチェル・カーソンの憂鬱な結論は、かつては尊敬を受けていた

ビジネスというものが、その実、価値を破壊する製品を生み出しているという

事実であった。

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                                    (翻訳書p.117-118)

[3-3]シェフ特製、氷河の水で作ったTofuでございます

水曜日, 7月 15th, 2009

朝日新聞大阪版1面広告をご覧になってこのサイトへお越しになった

皆様、ようこそ!

『祝福を受けた不安』の世界観をより深く理解し、かつ、読むだけではなく、

行動するために必要なtipsを掲載していきたいと考えています。

みなさまからのフィードバックでより深く、広がりあるものになります。

是非、コメントへの参加いただければ幸いです。

阪本啓一(『祝福を受けた不安』翻訳者)

*各記事タイトルのアタマにある[3-3]は、「3章に関連した記事の3つ目」

  という意味です。

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ぼくが初めて水というものを商品として購入したのは1984(昭和59)年

のことだ。同じ年、同じ時期に、冷蔵庫でいくらでも作ることのできる

はずの氷を、当時まだ珍しかったセブン・イレブンで買った。

広島市西区古江新町に住んでいたときのことである。

手元にたまたまある水ビジネスの統計数字を見ると、その1984年

から05年の間に水ビジネス市場は1,000倍になったという。

現在、水ビジネスの市場規模は4,000億米ドル(39兆4,000億円)。

水は石油より利益率の高い、一見「健康的なビジネス」である。

そう。たしかに商品そのものは健康的だろう。

しかし、南米パタゴニアの氷河にある全長360km、厚さ400mの

氷の塊から年間90億リットルの水をビジネスとして採取し、ボトル詰め

して世界中の高級レストランに販売するとしたら。

そのボトルをだれがどのような手段を使って運ぶのか。

氷河から船に積み、トルテル港へ運ぶ。港から車へ積み直し、

9時間かけてパタゴニアへ行く。パタゴニアからは飛行機で

2,000キロ北上、そこでようやくチリの首都サンチアゴへ。

このビジネスの法的権利を持っていて、既に製品もあるのは

ココ(→クリック。音が出るのでご注意を)。

チリ人実業家イアン・シドロフスキ(37)のファミリー・ビジネスである。

その会社Waters of Patagonia社は氷の年代を測定する技術を開発し、

特許を取得している。これが同社の利益の源泉、コア・バリューだ。

だから、中世の水、ルネサンス期の水など、顧客のお好み次第、という

わけだ。

気持ち悪いぼくは、へそ曲がりなのだろうか。

この、水ビジネスのいまわしい実態は、

『祝福を受けた不安』第6章p.242-244に詳しい。

*COURRIER Japon Aug.2009, p.82を参考にした。

[3-2]完全雇用をなくした進歩って何なのだ?

火曜日, 7月 14th, 2009

ぼくは企業の存在意義の一つは雇用にあると考えている。

にもかかわらず、

グローバリゼーションは労働というものを、置換可能な日用部品へと

貶めてしまった。

  (翻訳書p.221)

また、IT革命がそのエネルギーを、人間疎外へと向けてしまった。

省力化である。「人件費」削減、さらには「人員」削減だ。

これは本当にズレたことだと思う。

熟練の職人のことをラッダイトといい、産業革命真っ盛りの中にあった

熟練工たちはこんな疑問を感じた。

「完全雇用をなくした進歩って何なのだ?」

     (翻訳書p.115)

この疑問への満足いく答は、まだ、人類は手にしていない。

[3-1]「製品存在そのものの是非」を問う

月曜日, 7月 13th, 2009

スーパーで、トイレットペーパーを買ってきた。

「さわやかな香りがつつみます。香りは芯につけています。

蛍光塗料は使用していません」

との説明が書かれた透明な包装に12ロール入り。

まだ備蓄のトイレットペーパーがあったので、開封せず、

そのままトイレの中に置いていた。

翌朝、トイレに入って驚いた。

化学的な香料の刺激で目がチカチカするのである。

ここ3年ほど、拙宅では、石けんを始め、基本的にすべて

無添加のものを使用していて、そのため、人工的な香りの分子には

敏感になっているのだろう。

トイレのような密室で常時こういう人工刺激物にさらされたら、

どこか身体に不具合がきそうなので、あわてて外に出した。

出したはいいが、収納する場所がない。仕方なく、空きスペースの

あったクローゼットにしまったのだが、その部屋に入るとうっすらと刺激を

感じる。

『祝福を受けた不安』第3章「企業の権利」は、レイチェル・カーソン『沈黙の春』

から始まる。この本は農薬攻撃の書であるが、同時に、その本質は

「製品存在そのものの是非」を問う

           (翻訳書p.100)

ことでもある。

ご時世だから、いずれの企業も「地球にやさしい」を謳っている。

安売りでならす家電量販店から、下請け泣かせの大手自動車メーカー

まで。

しかし、

「本当にあなたが売っている製品は世の中の人に喜ばれて

いるものですか?」

という本質的な問いに答えているものは、

わずかだ。

現在起こっている世界の現実をどう見るか

日曜日, 7月 12th, 2009

朝日新聞7月12日付朝刊1面広告をご覧になってこのページに

お越しになった方、ようこそ! 是非、『祝福を受けた不安』を

お買い求めの上、副読本として、この専用ブログをお楽しみ

いただければ、と願っています。

『祝福を受けた不安』は、「現在起こっている世界の現実をどう見るか」

について教えてくれます。

例えば、同じ朝日新聞朝刊1面に出ている二つの記事の見方

も、学校では教えてくれない光の当て方がわかります。

まず一つめの記事。

「デモ、最初は平穏だった」という見出しで、「新疆ウィグル騒乱、住民が証言」

としています。記事によれば、

「合法的に政府に抗議しよう」という携帯メールが出回っていた。

「平和的だった」とウィグル族は口をそろえ、「暴力をふるう様子は

なかった」と漢族の飲食店員(31)も証言する。

とあります。これは『祝福を受けた不安』第6章「グローバル・ビジネス

帝国主義」冒頭から事例として出されている1999年11月30日に

起こったシアトルのデモについて読めば、理解が深まるはずです。

いくら武力をもって「鎮圧」しようとしても、そこに世界を、人間の生活を、

人間そのものへのリスペクトがなければ事の本質まで消し去ってしまう

ことはできない(ホーケンはこのことを、イヌイット神話の骸骨女を

引き合いに出して論じています)。

同じく朝日新聞朝刊1面「五大湖に迫る中国原産魚」についても、

第6章p.242にある、タンザニアのヴィクトリア湖におけるナイルパーチ

が起こした生態系破壊を読めば、視点を豊かにすることが

できます。ナイルパーチの一件は2004年公開のドキュメンタリー映画

『ダーウィンの悪夢』でご存じの方も多いことと思います。

このように、『祝福を受けた不安』は、読む本ではなく、観察し、

考察し、行動するための本なのです。

[2-7]人生の意味(mean)と手段(means)

土曜日, 7月 11th, 2009

先進国首脳会議(G8サミット)の議論を聞いていて、異和感を感じるのは、

G8内では「温室効果ガス排出量を50年までに世界で半減、先進国は80%以上

削減」としたのに対し、MEF、つまり新興国側はそれに合意していないことである。

G8とMEFとの合意がないことに異和感があるのではなく、そこにあるのが

経済的指標のみだという点だ。

中国、インドなど新興国の言い分は、「君たち先進国側はお先に失礼とばかりに

どんどん経済発展して、その間、地球を汚してきたじゃないか。ぼくたちは

これからまだまだ経済発展しなければならない。地球を多少汚したって、

後から生まれたぼくたちにもその権利くらいはあるだろう。まずは先進国が

汚すのにブレーキをかけ、その分、ぼくたちが汚すのを大目に見てくれたら

いいじゃないか」。

この言い分そのものに反論があるわけではない。

要するに、各国首脳の拠って立つものさしが、「経済」しかないことに

おかしいのではないか、と思うのだ。

ホーケンは、言う。

人生において、意味(meaning)ではなく、生きる手段(means)の方がより重要になった。

                                    (訳書2章 p.087)

現代西洋社会を支配する、すべてを経済的観点から観る世界観。この出来そこないの

世界観のおかげで足元をすくわれるかもしれない。つまり、私たちは、札束、つまるところ、

物質世界との関連づけでしか、世界と自分との位置を測定できず、抽象的な記号を

通してでないと、何事も理解し得ないのである。そこに生物的な観点は、ない。

                                    (訳書5章 p.188)

経済発展した国がしあわせなのかどうか、既に先進国は知っている。

首脳なら、それこそ、普段国内でアタマを悩ませている諸問題を思い出せば、

物質との関連性はこころのしあわせとは相関関係にないことくらい、

すぐわかるはずなのだ。アメリカの社会指標

「10代の妊娠、麻薬、飢えた子ども、

貧困、文盲、病的な肥満、糖尿病、抗鬱薬の服用、収入格差、

銃器による死亡、軍事費、有害廃棄物の生産、記録にある

レイプ数、低い学校教育の質(米国の学校はイラクを除いて

世界で唯一、金属探知機が必要だ・・・)

以上、『祝福を受けた不安』p.219-220を参考」

のどれをとってみても、世界最悪である。

サミットは、本来、多様性を学び、人類のしあわせ観(mean)について意見交換し、

新たなビジョンを打ち立てることこそに、意義があるのではないだろうか。

いったいいつまで、経済的アプローチ、つまり、生きる手段(means)について

綱引きやっているのだろう。

[2-6]グリーン史の次に4章に行くのも、アリ

金曜日, 7月 10th, 2009

「第二章 グリーン史」を読んでいる人、気になるようでしたら

第四章「エマソン、そして思想を受け継ぐ者たち」を引き続き

読み始めても構いませんよ。

ちょっとここで『祝福を受けた不安』の構成について触れておきますね。

「はじめに」で問題提起と本の全体構成の紹介

「第一章 祝福を受けた不安」でテーマの概論を

「第二章 グリーン史」で環境運動の思想的源流を

述べている。そしてこれは実のところ、第三章「企業の権利」を

すっ飛ばして、第四章「エマソン、そして思想を受け継ぐ者たち」に

移ったほうが流れとしては良いのである。

さらに、第三章「企業の権利」は第四章「エマソン・・・」をスキップして

第五章「先住民族」のほうが自然につながる。

つまり、第二章→第四章、第三章→第五章の流れの間に、なぜか第三章、第四章が

はさまる構成なのだ。

推察するに、原稿は本来、流れのままに書かれていたのではないだろうか。

自分自身本を書く時をイメージすると、「流れ」がとても重要で、アイデアの奔流は

そこに人為的作為が入ることを嫌う。

しかし、編集段階で、グリーン史の次にもう一度エマソンとその思想的継承者たちの

歴史的物語を続けると「重く」なりかねないとの配慮が働いたのかもしれない。

同じ意味で、ビジネス帝国主義に対する論述が二章続くのも、「満腹感」を

喚起するとして、スキップしたのかもしれない。

しかし、こうして完成した構成の通りに読み進めると、結果的に現在のものが

最高の配置だとわかる。

各章がそれこそ第七章で語られる免疫システムのように、複雑に、相互に絡み合い、

影響し合っているからである。

lettertohawken

写真は、今日アメリカへ向けて旅立ったホーケンへの翻訳書、JOYWOW会社カタログ、

そしてぼくからのメッセージカード。

本来は完成次第ホーケンに手渡ししに渡米する予定だったのだが(本気!)、

この分だといつになるやらわからないので、in good season(おいしいタイミング)で

渡せるよう、取り急ぎ郵送することにしたのだ。

[2-5]いつから電車は冷蔵庫になったのか

木曜日, 7月 9th, 2009

出張が多いので、ほぼ毎週、新幹線に乗る。

横須賀線にも乗る。

いつも感じる。

寒すぎる!

20年以上前、シンガポールに初めて旅行に行く親戚のおばさんに

アドバイスしたことがある。

「暑い地域にある発展途上国ではクーラーがごちそうみたいやで。

せやから、熱帯に行くとは思わず、必ず、はおるものを用意したほうが

ええよ」

おばさんは「そんなごちそう、要らんわ!」

と笑っていたが、帰国後、「やっぱり、寒くて寒くてたまらんかった」

とこぼしていた。ギンギンにエアコンが効いていたからだ。

現代日本の電車車両も、同じく、不要に寒い。

この問題について探求した人がいたので、リンクしておきます

(→クリック!)

ソローは、『ウォールデン 森の生活』で言う(今泉吉晴氏訳、小学館、p.24-25より)。

 一部の人は、地球の反対側の、本人にとっては健康によくない土地に出かけ、

10年か20年ほども大金儲けに励みます。なぜかというと、いずれニューイングランド

で裕福に暮らすために、つまりは死ぬまで快適に“暖かく”暮らすためです。この

生き方は、”暮らしに必要な物”からいえば、賢明とは言えません。贅沢なお金

持ちの暮らしは、快適に”暖かく”暮らす必要をはるかに超えて、”暑い”のです。

不自然な暑さです。ここで私が論じたとおり、お金持ちは世の流れに身をまかせ、

茹だるほどの暑さに浸かっています。

 日本人は大金持ちになった。あるいは、お金がたやすく手に入る社会を築いた。

その影で、お金のためにパチンコ店にガソリンをまいて放火し、無差別に殺人を

してしまうような貧困なメンタリティを生んだ。

そして、普通の服で乗車したら寒くてたまらない「贅沢な」電車を作った。

ソローが警戒し、嫌ったのは、こういう「文明的生活」なのだろう。

だから、21世紀のぼくたちが思い描く「スローな生活」とはやや趣が違うのだ。

[2-4]ソローは本当にスローな生活がしたかったのか?

水曜日, 7月 8th, 2009

タイトルはシャレみたいだけど、意図的じゃないです。

アニミズム、つまり、万物、自然界のすべてに霊が宿るとする

ものの見方をしてきた日本人と違い、アングロサクソンで

かつ、クリスチャンの人々は、ニュートンが「宇宙は自身の法則で

動いているのであり、全知全能の神が作り給うたわけではない」

と言ったり、ダーウィンが進化論を唱えたりしたりするのを

卒倒しそうになって聞いた。

ホーケンの描く「グリーン史」は、そのようないわゆる「西洋人」

たちにとって、自然のとらえかた、自然との位置の取り方が

まさに「コペルニクス的転回」を起こした様子の記述である。

環境問題を考えるに、「自然を征服しよう」とするか、「自然に溶け込んで一体化

しよう」とするかでも、大いにアプローチは違ってくる。

その意味で、ソローが森の生活をしたことは、巷間よく言われるように

「物質的生活を捨て、シンプルでスローな生活をしたみた」

というだけの意味とは考えにくい。

それって相当、21世紀の先進国民の色眼鏡で見ているような気がするんだ。

自然に対して

・何か働きかけをする

・何も働きかけをしないようにする

これもまた、違うよね?

だんだん、禅問答のようになってきたので、今日はこのへんで。