Archive for 6月, 2009

[1-8]生き残りたいんじゃない。生きたいんだ!

月曜日, 6月 29th, 2009

PIXARの「Wall-e」(ウォーリー)、
船長がいいセリフを言う。

「私は生き残りたいんじゃない。
 生きたいんだ!」

地球を何とかしようと運動している人々の
思いの原点も、ここにあると思う。

 そのときに必要なものは、生きるための物語だ。

 世界が、悪ではなく善の方向へ徐々にその
可能性を高めていくためには、一体いくつ
の物語やグループが必要となるのだろうか。

 物語は人間より偉大だ。豊かな物語は人間
に夢見る余裕を与えてくれる。だからこそ
子どもたちは大人が妖精たちや王様、不思
議な生き物の出てくるお話を読み聞かせる
と目を輝かせ、じっと見つめるのだ。

 家族やコミュニティは新旧の物語と私たち
をつなぎ、光へと導き誘ってくれる。
(訳書p.053)

[1-7]主客を転倒させてみる

日曜日, 6月 28th, 2009

 有名な生物学上の命題がある。

「めんどりは卵にとって、次の新しい卵を作るための手段
 なのではないか」

 同様に、人類は植物を農業のために育て品種改良したり
してきたが、実のところ、植物は自分の進化のために農業
を利用しているのではないだろうか。共進化的観点から言
うならば、両命題とも真である。
 リスが森のあちこちにどんぐりを埋めて隠すのと、人間が
ポテトを地表あちこちに植えるのといかなる違いがあると
いうのか。いずれが主で、いずれが従か。
 (中略)
 何にせよ、そこには「コントロール」はない。
生物の意志による制御、支配、管理などできないのである。
そして、進化は常に底辺から起こる。希望もまた。
(訳書p.051-052)

 だからこそ、いかに地球が傷つき、壊れていても、
希望はある。そうホーケンは言う。
 地球が壊れているのは、壊れているのではなく、
壊されているのかもしれない。

 新型インフルエンザは人間にとって脅威だが、
インフルエンザ・ウィルスにとっても脅威なの
かもしれない。ウィルスは生物でもなく無生物でも
なく、その中間という。そして、ウィルスの活動の
目的は遺伝子のバグ(不具合)を修正することだ。
とするならば、新型インフルエンザのウィルスが
発生しているということは、人類の遺伝子に何らか
のバグが発生していて、それを修正してくれようと
しているのだ、と考えることもできる。

地球環境問題も、このように、主客を逆転して
考えてみると、また新たな展望が開けるかもしれない。

[1-6]地方からの変革

金曜日, 6月 26th, 2009

 東国原知事の件で注目したいのは彼が自民党に

「私をかつぐということは、改革せよ、ということ
ですよ。その覚悟、腹のくくりがおありなんですね?」

という楔を打ち込んだ点だ。

 かつてホリエモンをかつぎだして選挙をにぎわせた
レベルの見識しか自民党は持っていないかもしれないが、
それと同等に考えてもらっては困りますよ、と。

 日本のマスコミは見識が低いから、「オレを首相にしろ」
と迫ったというようなカビ臭いパワーゲームの論点からしか
報じることができていないが、そういう見方は何も生まない
し、そもそも知事に対して失礼である。

 もう一点注目したいのは

「全国知事会で作成したマニフェストの採用を一字一句もら
さずに自民党の次期総選挙のパーティーマニフェストに盛り込み、
4年間で実現してほしい」

 という要求だ。

 現在の日本政治において、明らかに地方からの改革がのろし
を上げているわけで、ビジネスの世界と同じくトップダウン
ではなくボトムアップの流れなのである。
 
ポール・ホーケンは次のように書いている。

 軍事的、財務的な観点からパワーを測定するとするならば、
「スーパーパワー」と呼べるものは地球には一つしかないの
ではないか。アメリカに較べれば運動など武器一つもたない
丸腰の貧民に過ぎない。しかし、運動には、「インフラパワー」
がある。即ち、底(インフラ)から突き上げてくるパワーであり、
民衆一人ひとりが身体の内から湧き出る生理的なパワーによって
拳(こぶし)を天に向けているのである。多分、本書の読者の皆
さんも ─ 関わりかたは間接的かもしれないが ─ そのうちの一人
と思う。現在世界で起こりつつある目には見えない出来事をはっき
り見るには、変化とパワーというものについての我々の考え方を変
えなければならない。(原著p.25)

[1-5]ismの危険性

水曜日, 6月 24th, 2009

ホーケンはいわゆる「イズム(ism)」の危険性について
語っている。

 いわゆる「イズムのビッグ・スリー:資本主義、社会主義、
共産主義」は20世紀を通して、人類のマインド・コントロール、
領土、天然資源を自らの手中に収めんと闘ってきた。

 イズムの危険性は多様性を否定し、人間の弱みにつけこむ。
盲目的な忠誠心を求める。そして、イズムの論が、環境破壊へと
つながっていく。

 地球文明はこれらのイズムによって危機にさらされている。
 気候の安定は今後幾世紀にもわたって失われ、貧困は増し、
漁業は破壊され、大都市は地方からの難民であふれ、地下水
の水位は低下し、飢餓と栄養失調は経済的に豊かな国でさえ
増加している。

 20世紀における環境破壊の規模は有史以来、最悪である。
同時に、残虐さ、とげとげしさ、そしてその歴史おびたたしい
血で塗られたという点でも類を見ない。

 20世紀が始まって以来、第二次世界大戦までの間に、8,000万人
が虐殺された。大戦後に起こった149の戦争によって、2,300万人
(大半は一般市民である)が殺された。

 戦争についての調査は絶え間なく行われるが、平和の維持に
ついては殆どなされない。新古典派経済学をはじめ、人間の欲望の
様々な形態については勉強するが、人間の欲求というものをいかに
すれば調和できるのか、という観点については殆ど顧みられない。
 国連参加国を見てみよう。平和維持活動に1ドル使うのと同じ
時間内に、2,000ドルが戦費として使われている。

国連安全保障理事会は国連の決議に拒否権を行使できるが、
五カ国のうち四カ国が、世界の武器市場取引高の上位を占める。
 武器商人の国名は、米国、英国、フランス、そして、ロシア。

(原著p.17-18)

[1-4]知らないものは見えない

火曜日, 6月 23rd, 2009

 人が何か新しいことを理解するためには前例が必要だ。
エチオピアのメ・エン族の人がぬり絵の本を見せられた。
中にアンテロープ(→クリック!)の絵があった。
しかし、メ・エン族の人は動物として認識することができなかった。
紙のにおいを嗅ぎ、手のひらで捻じ曲げ、表面をなぞり、
耳を傾けて音がするか確かめ、恐るおそる口に入れた。
しかし、彼らは絵を動物と認めることはできなかった。

 人類学者が絵を布に転写してみた。
布はメ・エン族にとってはなじみ深いものだ。
今度は数人が何か動物のような、と感じることができた。
20歳の女性が科学者と一緒に絵を指でなぞり、
これは尾、これは脚、これは耳、これは角、と言うことができた。
ところが、さて、この絵は何でしょう、と質問されると、
彼女は何も答えられなかったのである。
(原著p.15)


 ホーケンは、現在地球上に起こっている新しいうねりを、
まだ少数の人しか気づいていない、その理由を語るにあたり、
上記のような事例を出している。

 たしかにそうで、人は「自分の見たいものを見る」のであり、
「知らないものは見えない」。

フランス人にはタヌキが見えない。
タヌキとイヌがいたとする。
フランス人にとっては二匹のイヌのようなものが
いるだけだ。

[1-3]バナネラ

月曜日, 6月 22nd, 2009

「ホンジュラスの、バナネラ(Bananera)
と呼ばれるバナナ労働者」

という表現に出くわした(原著p.11)。

バナネラという言葉は初めてなので興味を
持ち、早速調べてみたら、こんな文献に
出会った。ホーケンも巻末のBIBLIOGRAPHY(
文献目録)の中に掲載している。

bananera

著者はダナ・フランクといって、カリフォルニア大学
歴史学教授。研究論文を見ると特にサードワールド
の労働問題について詳しい。

他の著書に、『バイ・アメリカン:知られざる
エコノミック・ナショナリズム』(未邦訳)など
がある。

 バナナはとてもなじみ深いフルーツだが、私たちの
食卓に届くまでにどれだけの人々の努力が
重ねられているのかはほとんど知られていない。

 ホンジュラスのバナナ農園から始まったバナナ生産者
の不条理な労働条件との闘いについて書かれたのが本書だ。

特にその運動の中心になったのが女性たち。
 そしてこの運動もまた、
「人類史上初のボトムアップ・ムーブメント」
なのである。

この本の出版社はサウスエンドプレス・ドット・オルグ
(ココ→クリック!)
で、多岐にわたる問題提起をしている。
1977年創業で、本書『Bananeras』上梓の2005年
時点で250タイトル以上の本を出版している。
ラディカルな社会変革を目指す人たちのための
出版社という。

このほか、Bananera関係のリンクとしては
ここ(→クリック!)がある。

[1-2]名もなき運動

日曜日, 6月 21st, 2009

「第一章 祝福を受けた不安(Blessed Unrest)」
で著者ホーケンは、地球上に湧き出てきている
数十億もの運動(ムーブメント)についての記述
から始めている。

 それを可能にしたのは、ITだ。

個人と個人がかつてない方法でつながり、相互に
影響し合えるインフラができている。

Web2.0の特徴は;

・すべての人が発言権をもつ
  (Everyone has a voice)

・参加は自主的である

・参加意思はコントロール不能である

・権限は上からではなく、横から与えられる

・インタラクティブである

・インタラクティブであるがゆえ、「場」
 の空気の色は、参加者によって作られる

・つまり、だれか一人の「リーダー」によって
 「風土」が作られることはない

・合理的であると同時に情緒的という、二律背反
 的性格を帯びる。そしてこれは「人間は合理的判断が
 できるものであり、やるべきであって、できないのは
 その人間の欠陥である」とする機械論的人間観
 を奉じる近代的人間観からの大きな進歩である

・ヒエラルキーができるとすれば自然発生的であり、
 権力や財力によるものではない

・すべてが分散的 (decentralized)

・資源が機会によって自由に移動する

・決定はリーダーによってではなく仲間の間で(peer-based)
  なされる

*参考:Hamel, The Future of Management,p.253-254

リーダーも多種多様で、農民、動物学者、靴屋、詩人など。
彼ら「ごった煮の」リーダーたちが、数十億人ものメンバー
をサポートし、運動に意味を与えている。

この運動は分割することができない。

細分化された小さな構成要素の集合体で、相互のつながりはゆるやか。
形成しては、消散する。そして再び再集合する。

この一連の営みを司る、中央のリーダーシップ、命令、管理は一切ない。
この、名も無き運動は、一極集中の支配をもくろむわけではなく、
むしろ力を拡散させることに努めている。

(原著p.11-12)

[1-1]祝福を受けた不安

金曜日, 6月 19th, 2009

原著タイトルで、第一章タイトルでもある「Blessed Unrest」。

マーサ・グラハムの、アグネス・デ・ミルに投げかけた言葉の中にある。
『祝福を受けた不安』第一章章扉に、マーサのこの言葉がアグネスの著書
『Dance to the Piper』(New York:Da Capo Press,1980,p.335-36)
より抜粋引用されている。

 当時、アグネスが担当したミュージカル『ロデオ』の振り付けの質が、
キャストの入れ替わりなどの問題により悪化していた。
アグネスとマーサは夕食後のひととき、
この件について話し合った。

落ち込み、伏し目がちなアグネスへマーサは励ましの言葉をかけた。

 アグネスはマーサの言葉をメモしていた。全文は以下。

————————————————————————–

 人には生来、活力、生命力、エネルギー、そして輝きがある。

それらはあなたを通じ、表現として世界に出る。そして、あなたは後にも先にも
唯一の存在。

 だからこそ、あなたの表現は、かけがえのないもの。

あなたがそれをブロックしてしまったら表現の場を失い、消失してしまうわ。

 あなただけじゃない。「世界」が失うの。

 あなたのやったことを良い悪いとか、価値があるとかないとか評価
したり、だれかほかの人と比較したりすることなど、
あなたの知ったこっちゃないし、やるべきことじゃない。わかる? 

 あなたが気にしなければならないのは、透明になる、
つまり、遠慮せず自分をすべてさらけ出すこと。

 たましいも心も身体もすべてまるごと世界に向けてオープンに
開くこと。

 それさえすれば、アグネス、あなたは自分自身や
自分の仕事さえ信じる必要はないの。

 大切なのはオープンであること。
 自分の内側に燃える炎に気づいて。

 世界と交信するすべてのチャンネルを全開に。

 アグネス、あなたは人とは違う特別非凡な才能に恵まれている。
 でもまだその1/3くらいしか使ってないじゃないの。

「でも・・・」と私は言った。

「自分の仕事を振り返るとき、他の人がどう評価するかが
気になるのは当然じゃない?

批評の中に愚劣さ、冷たい欠点のあげつらい、
下品さを探してしまうの。

でもそんなことをしても楽しくないし、ちっとも満足できない」

「批評されて喜ぶアーティストなんていないわよ」

「だったら永遠に満足なんて得られないというわけ?」

「いつだって、何だって、満足なんて、ないのよ!」
  マーサは熱くなって叫んだ。

「そこにあるのは奇妙で、神聖な不満足、
  そして神の祝福を受けた不安(blessed unrest)。

それがあるからこそ、私たちを前進させ、
より生き生きとさせてくれるの。

あなたを見ていると、イライラして、足腰立たなくなるくらい
蹴っ飛ばしたくなるときがあるわよ」

*註:マーサ・グラハム(1894年- 1991年):アメリカの舞踏家、振付師であり、
モダンダンス開拓者の一人である。マーサ・グレアムと表記されることもある。
1926年に自身のカンパニー「マーサ・グラハム・ダンスカンパニー」を設立。

アグネス・デ・ミル(1905年-1993年):アメリカの振付師。マーサとは親友。
代表作は、『オクラホマ!』(1943)『回転木馬』(1945)、『ブリガドーン』
(1947)など。

[はじめに-5]『沈黙の春』は実現してはいけないのだが

木曜日, 6月 18th, 2009

レイチェル・カーソン『沈黙の春』(原著タイトルは Silent Spring)。

silent

この本については第三章『ビジネス帝国主義』で触れている。

それにしても(『沈黙の春』は)衝撃的な本で、1962年に上梓され
(ビートルズデビューの年だ)、以来47年経っているが、
いまだ多くの大企業は基本姿勢をあらためようとしていない。

もちろん、シャボン玉石けんのように「企業の全存在を賭けて」
製品哲学の方向転換をはかった企業もある。

農の世界では、石油化学産業である実態に疑問を感じ、
完全無農薬無肥料のりんご栽培を成功させた木村秋則さんが
魁(さきがけ)となって日本だけではなく、
世界に「back to zero」(原点回帰)の農革命が起こっている。

そしてぼくが実現したいのも、実のところ、
ビジネス1.0から2.0のバージョンアップにとどまるものではなく、
むしろ、「商いの原点」ともいうべき「back to zero」なの
である。理想とするのはビジネス0.0だ。

世界は「王道」「覇道」「和道」と進化していく((c)大和信春)。

王道:だれか一人の突出した為政者が民を治める。
      かつて機能していた時代があったようだが、実のところ、
      アンチテーゼや伝説としてしか人類は知ることができない。
      旧ソ連やヒトラー、かつてのスペインのように、独裁者が
      まかり通った疑似王道はあるにせよ、それが国民全体の
      福祉・幸福につながっていた事例は残念ながら、ない。

覇道:これはいまだに多くの国、多くの企業がOSとしている。
     「勝ち残った者が支配コントロールするべきであり、
       それが最も良い結果をもたらす」とする哲学である。
   しかし日本は既に16世紀にこの哲学の誤りに気づいていた。
   戦国時代を経て、何ひとついいことがなかったのである。
   そこに家康の「異質とも共存する」独特の哲学が生まれ、
   結果として徳川が2世紀半もの人類史上最長の為政時間を
   得ることができた。

   「食うか・食われるか」というのはいまだに大企業の会議で話題に
    出るだろう。しかし、どう考えても間違っている。

和道:「和」のこころをもって「互恵」つまり、give & giveの世界を築く。
    互いのcontributionこそがコミュニティを成立させ、
    持続可能な関係性を生むのであり、「互求」(take & give 
    何かくれたら与えてあげる)や「互奪」(take & take 
    ライバルのスキをついて丸ごと奪ってしまえ!)的環世界の
    住人とは全く異質の人類たち。

そして、『祝福を受けた不安』でホーケンが描くのは、和道を切り拓こうと
する、新しい人類の新しい試みなのだ。

[はじめに-4]ソロー『ウォールデン森の生活』

月曜日, 6月 15th, 2009

ホノルルの、常宿にしていたMoana Surfrider
(→クリック!)
からテクテク散歩して行ける
ところに「Walden」という書店があった。
ここでぼくはTom Peters師匠に出会ったり、いろいろ
ドラマチックな体験をしている。居心地の良い、とても
好きな店なのだが、店名の由来は知らないままだった。
最近ようやくわかったんだけど、ソローの本のタイトルから
来ていたんだね。

The Beginning章でホーケンは自らの思想の源流
について触れている。そしてそれらの思想家の著作や思想は
後の章でも大きく取り上げられる。
ダーウィン、ガンジー、エマソン、ソロー、カーソンたちだ。
中でもエマソン『自然』、ソロー『ウォールデン森の生活』、
カーソン『沈黙の春』は非常に重要な位置をしめている。

3reference

 

 

 

 当然ぼくも翻訳するにあたり、これらの著作を手に取り、
親しんだ。中でもソローの代表作『ウォールデン』は、
非常に面白く、1854年の出版というから日本は江戸時代
末期である。横浜開港が1859年なのでその4年前だ。
江戸時代とはとうてい思えない近代的、いや、現代的な
問題提起がなされていて、たとえば次のような文章。

—————————————————–
 一部の人は、地球の反対側の、本人にとっては健康に
良くない土地に出かけ、10年か20年ほども大金儲けに
励みます。なぜかというと、いずれニューイングランド
で裕福に暮らすために、つまりは死ぬまで快適に“暖かく”
暮らすためです。この生き方は、“暮らしに必須な物”から
いえば、賢明とは言えません。
—————————————————-
(今泉吉晴氏の翻訳、小学館より。p.24)

いま引用した翻訳書は、今泉氏が2年かけて翻訳し、
4年かけて校正した力作だ。若いソローの書いた文章
をそのまま写し出す練達の翻訳文も良いが、懇切丁寧な
注釈も読者にやさしい。
扉にあるコンコード(マサチューセッツ州)の地図を見ると、

・舞台となったウォールデン池ほとりのソローの家
・エマソンの家
・オルコットの家
・ホーソーンの家

などが近接していることがわかる。

オルコットは、『若草物語』のオルコットであり、父は
エマソンと同じく超絶主義者(Transcendentalist
もうちょっとまともな訳がほしいなあ)だ。

『ウォールデン』はアメリカ人の教養として根づいている
と聞く。江戸時代の書物が教養の基礎になっているって、
素敵だなあ、と思う。