Archive for the ‘note’ Category

[8-11]宇宙船を設計してください

金曜日, 12月 11th, 2009

今から二時間以内に、宇宙船を設計してください。

地球を出発して帰ってくるまでの100年間、乗組員が

全員元気で、健康、そして幸せでなければなりません。

生物系も必要です。

そのエコシステムのおかげで1世紀の間、食物、清潔な水、

薬草、繊維が提供されます。各チームは宇宙船社会の文化

も設計してください。命令系統や社会を創造し、維持するに必要な

こまごました厄介なディテール設計もすべてお願いします。

宇宙船は必要な大きさが建造可能で、光は外から取り入れます。

ただし、脱出用ハッチはなく、船内で起こったことは1世紀の間船内に

留まることもご承知おきください

(p.332-333)

これはホーケンが、さる農薬を製造する大企業でワークショップを行った

ときの課題。さて、60人いる同社の化学エンジニアはどんな結論を出したのか。

(つづく)

[8-10]教育が最優先されるべき

火曜日, 12月 8th, 2009

しばらくごぶさたしてしまっていました。

理由は簡単、パソコンの前にいられない飛びまわる日々を過ごしているからです。

何かの新聞記事で読んだのだけど、いわゆる「貧困」とされる家庭に

いる子どもの数は300万人を超えるという。

980円やら680円やら超・安いジーンズが出たり、牛丼が値下げされたり、

ファストファッションが人気になったり、世の中デフレが進行中だ。

「モノが安く買えてハッピーじゃないか」という意見もあるだろうけど、

980円のジーンズを1万着売っても980万、ビジネスとしてどうなのか。

企業の売上の絶対値が上がらなければカネが循環せず、当然ながら

景気は良くならない。

そして、この経済の沈滞、下降をモロに受けるのは、子どもたちなのだ。

次の世代を担う彼らに充分な教育を与えなければならないのに、

その原資も、環境もないというのが実情だ。

地球環境問題について考えるとき、「教育」は本当に、重要な問題だと

思います。

dramat

写真は、今朝自宅窓から写した朝焼けの葉山。

教育を考えていると、この写真が浮かんだので。

清々しい朝のこの景色が好きだ。

[8-9]マザーハウス山口さんの言葉

土曜日, 11月 14th, 2009

神、something great、天・・・何と呼んでも

構わないが、人は自分の自由意思による選択で人生を

生きていると考えている。

しかし、実のところ、「天」がデザインしているとしか

思えないときがある。

マザーハウスの山口絵理子さんも同じことを言っていて、

小学校のいじめから始まり、中学の非行、高校の柔道、

大学での開発学との出会いとバングラデシュとの出会い、

そして、マザーハウス設立、バングラデシュからネパールへ、

という流れの中で、その都度、自分自身の考えを固め、

それに従って選択をしてきたように思うが、

一方で、それらはいつもあらかじめ決められた道だった

ようにも感じる (『裸でも生きる2』 p.235)

山口さんは理念経営を実行していて、それは途上国の

素材を使ってモノを作り、それを日本へ輸出し販売する。

途上国の職を創出する。

「この地でしか手に入らない素材や技術があるんだって」

そんな言葉の一つひとつが、マザーハウスの

プロダクトを見て、知った人たちから生まれることを

祈っている。

そして、安いものだけを求めにやってくる先進国のバイヤーの

中にも、付加価値のあるものを求めに途上国にやってくる人たちが

少しずつでも増えるように。

それが継続した先に経済構造の変化が起きると信じている。

(同書、p.238)

拍手! これぞまさにビジネス2.0だ!

[8-8]やるか・やらないか

木曜日, 11月 12th, 2009

ホーケンは、p.344で、ヘブライの預言者アモス、デヴィッド・スズキ、

ドネラ・メドゥズ、ビル・マッキベン、マーティン・ルーサー・キング、

ジェーン・グドール、ワンガリ・マータイらがいかに闘い、いかに

迫害やら嫌がらせやら嘲笑やらの対象となり、それでもいかに

彼らは闘い続けたかを記述する。

そして、言う。

これら六人の人々が(アモスを省いてカウントしている模様だ;阪本註)

未来の世界でどう評価されるかなんて、私は興味がない。

大切なのは、まさに今、彼らの目に映る地球に起こっている

禍いに真っ向から取り組んでいる、ということだ。

つまり、「やるか・やらないか」が重要であって、いくら議論しても

意味がない。ぼくはこのホーケンの姿勢に100%賛成する。

[8-7]モルディブで

水曜日, 11月 11th, 2009

昨日、「何もしない」と言っておきながら、ニュースで

モルディブなど、海面上昇で水没の危機にある島国が

対策会議を開いたときくと、とても興味深く、いいことだなあ、と

ひざを乗り出してしまう。たとえばニュースはここ(→クリック!)。

結論として、先進国に援助を願う、というのはあまりに安易な気もするが、

それもまあ、仕方ないのかもしれない。

12月、バリで国連のIPCC(気候変動に関する政府間パネル)があるので、

事前準備というが、だからといってぼくに何ができるのかわからないけれど、

とてもいいなあ、と考えている。

[8-6]何もしない

火曜日, 11月 10th, 2009

たとえばJALを経営破綻から救うことで世界にいかなる価値が

生まれるのか。

JALに投入する税金は、日本国民が本当に負担するべき

ものか?

企業も生き物であり、だとするならば、人為的な手だてなど、

ろくすっぽ役に立たないのではないのだろうか。

最近のぼくはそう考え始めている。

ガン治療のアプローチにはさまざまあり、国によっても違うが、

スウェーデンでは、前立腺ガンの治療は、「何もしない」

が一番多いという。それでも人間のもつ自己治癒力で、治ってしまう

らしいのだ。

つまり、人間は、何もしない。自然に任せる。

そしてそれが再生につながる。

ホーケンが最終章「再生」で最も伝えたいことではないだろうか。

[8-5]有限ゲームと無限ゲーム

月曜日, 11月 2nd, 2009

世界には二つのゲームがある。

終わりのあるゲームと終わりのないゲーム。

有限ゲームと無限ゲーム。

前者においてルールは厳格、変更は許されない。

後者はゲームの進行に必要とあらば自由自在に変更可能。

前者の事例にホーケンはビジネス、銀行業務(そういえば今日またアメリカの

ノンバンクが経営破たんしたが、銀行がチャプターイレブンになる

なんて、そっちのほうが難しいんじゃないか?)、戦争、NBA、ウォール・

ストリート、政治を挙げている。

ここでいうビジネスは、「ビジネス1.0」のことだろう。

「ライバルは徹底的にうちを狙ってくると思われます」

「厳しい戦いが待っているはずです」

こういうセリフを会議で発言すると、どことなく賢そうな

感じがするので、考えの浅い人ほど、こういう、ステレオタイプ・フレーズ

を多用する。しかしそれは考えの無さの露見したものにすぎない。

ビジネスも、本来、有限ゲームから無限ゲームへと進化するべきなのだ。

勝った負けたと騒ぐじゃないよ、の「王将」の世界。

1.0と2.0、どっちが難しいかというと、答は明らか、2.0だ。

でも、そこから得られる利益は莫大かつ持続可能なものになるはず。

[8-4]マネジメントなど、できない

日曜日, 10月 25th, 2009

哲学者ダニエル・デネット(Daniel C. Denett)によれば

(正確にいうとぼくは原書を読んでいないので翻訳者の山形浩生によれば)、

自由とは、ぼくたちが何かをできるようになることである。

この論でいくと、ダイキンが新型インフルエンザウィルスを100%除去できる

空気清浄機を開発したことは、それだけ人類の自由を広げたことになる。

「それまでできなかった何かをできるようになる」

「遺伝子で制限されていた能力が拡大し、文明なり技術なりのおかげで

できるようになる」

ことがデネットのいうところの自由である。

ここには、「こうすれば、こうなる」という線形論理が働いている。

ホーケンのスタンスはこれとはまるで逆だ。

私たち人間は、ふりかかってくる大量の問題を手中にし、何とか

マネジメントしてやろうなどと思わないことだ。そんなことは不可能だと

推論できるだろう。   (p.328)

「何が起こるかわからない」現実を相手に商売している商売人としての

ぼくの体感覚でいうなら、やはりホーケンの言う通りだなあ、と思う。

「こうすれば、こうなる」とわかるのなら、商売の醍醐味なんて、ない。

だとすると、デネットの自由の定義には賛成できないことになる。

いや。賛成するもしないも、そもそも商売にとっての自由は何かを

考えればいいのか。

そしていつも言うように、商売はやるか・やらないかであって、

自由の定義など、実はどうでもいいのである。

ホーケン自身、上手な商売人だからなあ。

翻訳の意味

土曜日, 10月 24th, 2009

今日も、原文テキストに沿って考察を進める本ブログの

流れとは少し離れるが、別のことを書いてみよう。

このブログ、原文テキスト通りに進めているので、最終章の8章が

終わると、必然的にブログそのものの存在意義が消える。

だから、書くことがなくなったらブログも終わるのである。

終わったら、どういう扱いにしようか、決めていない。

Webの中の記念物扱いで残すのか、潔く削除してしまうのか、

そのへんはいざその時になってからの気分で決めようと

思っている。

さて、今日は、「Blessed Unrestをぼくが翻訳するようになった意味」

について考えてみたい。

本人が意識している意味は、著者ポール・ホーケン

へのリスペクトなのだが、しかし、ホーケンは常に前進している人で、

その前の翻訳『ビジネスを育てる』とはまるで違う。それはそうで、年代も違う

から仕方ないのだが、実質一つ前の共著『自然資本の経済』とも全く

違うのである。文体そのものからして違う。いやはや、『Blessed』の文体は

はっきり言ってしまえば、晦渋そのものであり、これまで数かず翻訳

してきた原書の中でもベスト1に堂々ランキングされるほどの難物だ

(ちなみに2位は『ブランド・マインドセット』)。

しかし、新しい思想は新しい語彙と文法を必要とするのであり、

その意味では、本書はホーケンによる壮大な実験といえる。

また、アプローチも新しい。

環境をテーマにしていながら、なぜ歴史的アプローチをしているのか、当初

は全く理解できなかった。

ただ、「ぼくが翻訳する意味」という観点から論を進めると、やはりいまとなっては

理解できるのである。

というのも、ホーケンは、本書で、「イデオロギーやだれか一人のカリスマで

地球を動かすようなことはないよ」と言っている。人類史は長く覇道の歴史で

あって、だれか一人の「アブラギトギト」の野心家か、あるいは、洗脳されまくった

グループが「人々のためになる」というイデオロギーのもとに何とか世界を

モノにしようとしてきた歩みだ。そしてそれらの歩みはことごとく失敗

している。

そして。

ちょうど翻訳に精を出しているそのとき、ぼくはビジネス2.0を提唱し始めた

頃である。

しかし、ビジネス2.0というのも、まあ、言ってみればイデオロギーと

言えるのである。

「世界にJOYとWOWを」というわが社のビジョンを、では、実行するのは

JOYWOWという会社とコンサルタント「だけ」なのか?

というと、明らかにそんなことはない。

それくらいは、さすがのぼくでもわかる。

しかし、では、だれと手を組むとか、だれと何をするのだろう、となると、

いまひとつ、絵が見えていなかった。描き切れていなかった。

それが、「ボトムアップの運動」という鍵をもらったとき、「JOYWOW大使」

というコンセプトを得たのだ。

ぼくが大いなる勘違いをして、ビジネス2.0というイデオロギーのもと、

おかしな方向へ走らないよう軌道修正してくれた。

翻訳の、ぼくにとっての意味の一つは、ここにあると思っている。

本題とは離れるけれど

金曜日, 10月 23rd, 2009

このブログは『祝福を受けた不安』の世界をより深く理解し、現実に

行動するための思索材料に資す目的で書いています。

そんな中、同じ版元の同じ担当編集者・安藤さんからめちゃくちゃ

面白い本を寄贈いただいた。山形浩生さんの新作

『訳者解説』(バジリコ)である。

 もちろん、山形の訳す分厚い本を読もうなどという人は、平均より

理解力もあれば知的好奇心も高い人だろう。が、一方で日本の読書

人たちの「平均」がいかに低レベルかを侮ってはいけないとも思う。

 たとえば少し下火にはなっているけれど、新書ブームというのがある。

そこでベストセラーになった本を書店で立ち読みすると、ほとんどは、

一行ですむ話を一章、いや一冊に引き延ばしているだけ。そして

アマゾンのレビューなどを見ると、多くの人はその一行すらきちんと

理解できていない。

 一般読者だけじゃない。新聞雑誌で書評と称するものを書いている人は、

一応は平均的な読者より見識も高く、読解力もある人のはずなのに、

度し難いバカだらけだ。本のあらすじを書いて最後に「深く考えさせられる

一冊である」とつけるだけの、小学生の読書感想文みたいな書評が山ほど

ある。いやこれならまだ害は少ない。多くは本そのものをきちんと読まず、

本をネタに何やら自分のイデオロギー開陳に精を出すだけ。p.9

 

 まさに拍手喝采である。

ぼくが言いたいことを、ズバリ、言ってくれている。