男塾誕生秘話「1人で立つ!」(前編)
今日は、そもそも、この男塾ってどういう風にしてできたかを話したい気分。そんでもって、「漢(おとこ)らしいとは?」もちゃんと定義しておこうかな。男塾とかいいながら、漢の定義がはっきりしないようじゃダメだからね。すべては、オレが初めてコンサルを務めたある会社でのできごとから始まった。
その会社は当時、社員数30人くらいのいい感じの小さなベンチャーで、平均年齢はなんと28歳。最初に、首脳陣が集まる経営会議に出てみたら、なんか、学園祭の打ち合わせをする大学生って感じだったかな。でも、その若さがとっても気持ちよくてね。エネルギッシュというか純真というか、その場で「これなら一緒にやってみたい」と決意して、コンサルをお引き受けした。
マネージャーの1人に、とても素敵な女性がいた。当時29歳。美形で仕事もてきぱきこなし、人当たりもよく、なんといっても才能にあふれていた。所属はおもにマーケティングと宣伝広告。オレはコピーライティングの「いろは」やら、広告媒体の選び方やら、部下を育てるコツやら、ありとあらゆることを真剣に伝えまくった。
コンサルを始めて2年後くらいかな、その女性はどんどん出世して、GM(ジェネラルマネージャー)という社員の中では最高の地位に就いてほしいとの辞令をもらった。オレもすごくうれしくって、「よかったねぇ」と祝福したのだが、彼女の顔はなぜか浮かない。それどころか、「GMお断りしようと思うんです」などと、信じられない言葉を口にする。
ZONO:「なんで? ありえないっしょ。意味わかんないし。自信ないの?」
彼女:「そうじゃないんです」
ZONO:「じゃ、なんで?」
彼女:「彼が、あんまり出世してほしくないって言うんです。将来は実家の店を継ぐことになるから、結婚したら私にも店を手伝ってくれって。だから、会社であんまり重要な地位につかないでくれって。それに、自分より稼ぎが多いのはイヤだって……」
ZONO:「FUCK!!!! そんな男とは今すぐ別れなさい!」
彼女:「私も迷ってるんですけどぉ……」
それからというもの、彼女に会うたびに「彼と別れた? 早く別れなきゃダメだよ」と何度もなんども言った。けれども、その甲斐なく、29歳の才女はGMの話を断り、その2か月後に会社も辞めてしまった。オレはもうはらわた煮えくり返ったね。怒り心頭とはこのことだよ。「なにからなにまーで、まーくらやみよ。すーじのとおらぬことばーかーりー」と鶴田浩二の『傷だらけの人生」(古いねぇ)を口ずさむ毎日だった。そんなとき、
「この世の中をダメにしているのはダメな男どもだ!」
この言葉が、オレの頭を稲妻のように貫いた。
要はね、そういうこという男って「母親依存」から抜け出せてないんだよね。抜け出せてないんだけど、さすがに、大人になってしまったら「ママー」って甘えてられないからね、代用品を探すわけ。それが彼女だったり奥さんだったりするんだよ。「結婚したら家庭に入ってほしい」。ざけんなよって。なんじゃそれ。自分の身の回りの世話をしてくれて、無償の愛を約束してくれる女性がそばにいないと生きていけない。そんな男なわけさ。
でね、人のいい女性はそいう男に「家庭に入ってほしい」とか言われると、「それが女性として当然の務めなのかも」と思っちゃうんだよ。たまたま、それが、会社でいろんなこと任され始めて「キツイなー」と感じる時期と一致したりしちゃうんだ、これが。片方にキツイ仕事、もう片方に女性としての務め。後者を選んでも無理ないでしょ。責められないよね。
でも、そもそも仕事ができる女性だから、家庭に入ってみたら「私の生き甲斐はどこ?」ってなっちゃうでしょ。昔のお母さんたちって、そういうこと考えてなかったからね。いまほど裕福じゃないから、生き甲斐とか言う余裕もなかったしね。でも、今は違う。同窓会に出てみたら、バリバリ働いてるキャリアウーマンがいて、うらやましいとかね。刺激も半端じゃなく多い。
で、不幸なことに「子育て」にそれを見いだしちゃうんだ。子供を自分の作品、アイデンティティーにしちゃう。子供にしたらたまんないよね。自分に対する愛情からいろいろやってくれてるように見えて、本当のところ、母親のエゴであれやこれややらされて、塾行かされて、他人と比べられて、将来の方向まで全部、青写真を書かれてしまうんだからね。
ニュースで報道される「家庭内の事件」って、ほとんどがこういう図式で生まれてくるんじゃないかとオレは思っている。じゃ、その元を作ったのはだれよって。母親依存から抜け出せてないダメ男に決まってるじゃない。そもそも、自分の愛する人が好きな仕事して、そこで結果出して、出世して、なんでそれを心から喜べないの?
僭越だけども、塾長であるオレの家庭の話をしよう。かみさんは外資系ナチュラルコスメの会社に勤めて15年になる。最初はバイトで入って、社員になって、小さな店舗の店長になって、本社の広報担当部長になって、いまは執行役員にまでのし上がった。永ちゃんバリの「成り上がり」(やっぱ古いねぇ)だ。
帰宅は早くて午後9時。遅いときは午前4時。朝帰りだよ。土日もイベントやら取材対応やらで、家にいないことのほうが多い。当然、オレもかみさんも外食オンリー。最近は、フリーランスで時間の自由がきくオレが夕飯を作ったりしてる。掃除も洗濯も、気になった方が自発的にやるという暗黙のルールがある。
ときどき、彼女はオレに気を遣ってか、こういうことを言う。
かみさん:「仕事辞めたら、ご飯とか作れるよ。そうしてほしいなら……」
オレ:「あ、結婚するときにも言ったけど、専業主婦とは一緒に暮らせなから、オレ」
かみさん:「すまないねぇ」
どうよ。家に帰ったら、なんかよくわかんないけど、オレの身の回りの世話してくれる人がいて、夕飯が出てきて、風呂が沸いてて、洗ったばかりの着替えが用意されてて……。ああ、気持ち悪い。そういう存在って、オレには理解できないし、まったく必要ない。それよりも、彼女が夜遅く帰ってきて、
かみさん:「あー、働いた、働いた。今日のプレス発表会は最高だったんだよー。100社以上もメディアが来てくれて、テレビも入ったんだから」
満面の笑みでそう語るのを聞いているほうがよっぽどしあわせだよ。
おっと、さすがに、これ以上を1本で書くのは長すぎるね。しゃあないや。続きは明日書こう。まぁ、男塾の根幹の話だからね。そう簡単には要約できませんって。というわけで、男塾誕生秘話、「1人で立つ!」の前半は終了。ほんと、書き出すと止まんないよ、オレ。(つづく)

