『プロフェッショナルの流儀』特集〜④ 「答え」は仕事が教えてくれる

いやー、読者の方々というのは本当に正直だよね。だませないし、ウソつけない。というのもね、昨日の「フリーランス」に関する話はね、自分でもひさしぶりによく書けたと思ってたのよ。そしたら、いきなり2つもコメントいただいたものね。やっぱ、みなさん見る目というか、読む目があるね。スゴイや。

やすさんは初めましてかな? 「ZONOさんが、編集長時代の雑誌、毎号楽しみにしてたものです。なので、今回のコラムすごい面白かったです」。まぁ、ステキ! 愛読者の方だったんですね。やすさんみたいな方がたくさんいるだろうと思って、徹夜でがんばっていましたよ。報われるねぇ、ほんと。「がんばろう!って思いました。なので、がんばります!」。これがオレにとっての最高のご褒美ですよ。昨日の夜、あの話を書きながら、「こんなハードな話、わかってもらえるかな? だれか1人でもいいから、“がんばろう!”と思ってくれる人がいればいいけど」なんて思っていたのよ。そしたら、直球でそれが返ってきたんだからね。うれしいね。

それから、しんさん。おひさしぶり! 「全体を俯瞰する力と、細部に気遣う細かさと両方に意識が向き、まるで”ハンター”のような感覚が自然に身につくかと」。うん、いいねぇ。「ハンター」ね。まさに、プロフェッショナルにふさわしい言葉だね。これ、ちょっと使わせてもらおうかな。使用料は今度、お会いしたときになにかの形でお返しします。あとね、「ページの分量ですが、僕はいつものこのくらいのページ数の方が読み応えがあって、考える視点が増えるのでこちらの方が好きです」。そうだよねぇ。オレもそう思うよ。いろんな意味で勇気づけてもらって、ほんと、元気になりました。やっさん(なんとなくそう呼びたい感じ)、しんさん、ありがとうね!

コンサルの現場とかで、若い人たちからよく、こんな質問を受ける。

いったい、自分の仕事ってどこまでやればいいんでしょう

意味わかるかな? つまりね、学校の勉強と違って、仕事には明確なゴールというのがないのよ。「最低限のライン」はあるのだけどね。つまりは、上司から怒られない程度、あるいはお客さんから訴訟されない程度ってラインね。そう、下はわかりやすい。ところがね、上を見たらキリがない感じがするんだね。

たとえば、木工でテーブルかなんかを作るとする。男子なら技術工作みたいな授業でやったでしょ? あれを思い出してほしい。まずは、木材を適当な大きさにカットするよね。「最低ラインのテーブル」でいいなら、そのまま4本の足と1枚の天板を釘で打ち付ければ、その瞬間に完成だよね。それじゃあ、さすがに先生に怒られるっていうんなら、ニスだけでも塗っておくかな? このくらいで技術の授業ならBはもらえるでしょ。オレの高校時代も、リーゼントのツッパリたちが「だりぃーよ」とかいいながら、そのレベルの机を作っていたな、そういえば。

その隣で、木工細工の好きなA君は、カットした部品のすべてにカンナがけをしている。で、それが終わったら目の粗い紙ヤスリでざっくりと磨きあげ、さらに、目の細かい紙ヤスリで表面を整え、さらに、さらに、もっと目の細かい紙ヤスリで仕上げる。そろそろニスかなと思いきや、砥の粉(とのこ)を丁寧に表面に塗り込み、乾くのを待ってようやく釘で組み立てる。組み立てたと思ったら、金槌をひっくり返し、丸い面のほうで釘の頭が邪魔にならないように木にめり込ませる。この時点でバランスを再調整し、ガタがこないようにそれぞれの足を少しずつヤスリで削る。いよいよ、ニス塗りで完成と思いきや、またまた乾くのを待って、二度塗り、三度塗り、四度塗りと重ねていく。そうやって、それはもう見事なテーブルが完成しましたとさ。

てな具合にね、あらゆる仕事ってのは、「どこまでやるか」のゴールが曖昧にされているんだよね。ツッパリ仕事からA君の仕事までのどこが終点なのか。だれも決めてくれないし、かなりうるさい上司だって明確にはその基準を持っていなかったりする。ある意味、個々人の美意識やセンスやモラルなんかに委ねられている部分もある。そのうえ、やっかいなのは、

やればやるほど、時間と労力と知恵を費やさなくてはならない

っていう、妙な宿命がついてまわるんだよね。おそらく、「いったい、自分の仕事ってどこまでやればいいんでしょう」と質問する若い人たちが、本当に知りたいのは「どこまでやれば、自分は解放されるんですか?」ってことだろうね。質問の答えをある種の「免罪符」にしたいってのが本音じゃないかな。じゃあ、この手の質問にオレはどう答えているか?

人に聞くな!

だね。うん、とても不親切な回答だわ。そういわれた若者もキョトンとしている。しばらく間をおいて、もう少しだけ親切に教えてあげる。

その仕事に聞いてみたら?

ここでピンと来たらたいしたもんだね。かなり見所があるヤツってことになる。たいていは、眉間にしわを寄せて、首をかしげまくってるから、さらにいじめたくなってこういう。

仕事の奴隷になればわかるよ

奴隷」という言葉がキライだったら、「母胎」でもいいんだけどね。男性にはわかりにくいから「奴隷」っていってる。たとえば、自分が「仕事」という子供を産める身体を持っているとする。自分に仕事の依頼が来たってことは、「仕事という子供を身ごもった」ってことだよね。つまり、その瞬間からその人は「仕事の母胎」になるというわけ。

さあ、どうするよ? あくまでも「自分の子供」だからね。本当に子供を身ごもったとして、どう行動するかを想像してみようよ。おそらく、母胎としてやらなきゃならないと感じたことは、全部、完璧にやるよね。手を抜くなんて夢にも思わないはず。健康で、賢くて、心根のやさしい、元気な子を産みたいじゃない。出産系の雑誌とか書籍とかウェブサイトとか読みまくるよね。でもって、「胎児にいい」って書いてあることは手当たり次第にやると思わない? まぁ、オレは男だから本当のところはわからないんだけどね、たぶんやるでしょ。

つまりね、オレは「いったい、自分の仕事ってどこまでやればいいんでしょう」の答えって、仕事をする側の人間には決める権利がないと思っているのよ。わかるかな? それは「仕事が決めるもの」ってことね。つまり、仕事がご主人様で、それを遂行するオレたちは仕事様の奴隷ってこと。奴隷だからね。仕事様が求めることに「NO」という権利はない。だまって、仕事が求めるゴールに向かって自分ができうるすべてを差し出すのよ。

ほら、木から仏像を彫る名人がいうじゃない。「私が仏を彫るのではない。木の中にすでに仏はいらっしゃる。私はそれを出してさしあげるだけ」。あれと同じね。企画書を見るでしょ。そこに、その商品やサービスの「理想の完成像」が書かれているはず。それを「身ごもった子供」でも、「ご主人様」でもどちらでもいいから、ある種の絶対的存在として自分の前に置くのね。ドーンと置く。そいつは木の中の仏様と同じように、変わらない存在としてそこにあるわけだからね。まだ、形は現していないけど、オレたちの頭の中には確実にある。

あとは、なにも考える必要ないよね。そのままの形、理想の完成像をこの世に彫り出すために、自分がなにをしたらいいかを確認して行動するだけ。もし、途中でわからなくなってしまったら? 先に書いたとおり、仕事に聞いてみたら? 自分で決めちゃダメ。人に聞いちゃダメ。これがプロフェッショナルの仕事の仕方ですよ。

今日はね、昼間からやることが山ほどあってね。明日もオレにしてはけっこう早い時間から動かなきゃだから、このブログもお休みかなと思っていたのよ。そしたら、やっさんとしんさんのコメントでしょ。でもって、例のJOYWOWのMLで、けーちゃんが「昨日の男塾ブログは大傑作」とか書いてくれてる。彼もコメントしかけたらしいんだけど、「身内で褒めまくるのはいかがなものか」と自重したんだってさ。とか、オレがバラしているから同じなんだけどね。そこで、この話を思い出したわけよ。男塾ブログという仕事。その可愛い子がね、「今日も書いて!」ってオレにいうわけさ。そんなこといわれた日には、書くか書かないか、自分で決められないじゃない。というわけで、明日(もう今日だけど)のことなんか考えずに、このブログの奴隷になってみたよ、オレ。(おわり)

Comments (2)

やす7月 16th, 2009 at 5:39 PM

ZONOさん、やすです。

今日も、ごちそうさまでした!

手を抜いてはいけないと思いつつ、ここまででいいかな?なんて自分で線引きしそうな自分を、
それじゃだめだ!ってお昼頃から、先延ばしにしていたところなので、やっぱりちゃんとやります!

よーし!やるぞ!

しん7月 17th, 2009 at 3:07 AM

「ハンター」、どうぞどうぞ使って下さいませ。 そう言って頂けると何か貢献出来てる感じがして嬉しいです!

>「私が仏を彫るのではない。木の中にすでに仏はいらっしゃる。私はそれを出してさしあげるだけ」。
>「そのままの形、理想の完成像をこの世に彫り出すために、自分がなにをしたらいいかを確認して行動するだけ。」

こう思うと、丁重に丁重に。
そして世の中がより良くなるためにも仏様を早く出してさしあげるお手伝いをするのも私の仕事と。
仕事をするときの心構え、動機の軸が出来、セルフチェックが自分で出来ますね。

素晴らしい名言、ありがとうございます!

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