『プロフェッショナルの流儀』特集〜③ 会社内フリーランスのすすめ
33歳のときだった。それまで、音楽一筋で生きてきたオレは、すべての楽器とレコード、CDを売り払い、IT雑誌の編集者に転身した。「なんで?」と聞かれると、それはもう語り尽くせないほどのいろんなことがあるから、ここでは思いっきり省略したい。とにかく、音楽家から編集者へ、フリーランスから会社員へと人生が大きく変わってしまったというわけ。
そうね、かみさんも含めて、周りの人は「間違った選択」と思っただろうね。ズブの素人で33歳の年齢でしょ。いきなり編集っていったってうまくいきっこないと予想するのが普通だよね。オレも実のところ、自信や確信なんてまったくなかったよ。ただね、なんとか自分の人生を修正しなきゃという思いのみだった。なんというか、真っ暗闇の中をさらに目隠しして歩いているような、なんともおぼつかない感じだったね。
で、結果はというと、契約社員で入社して2か月目で正社員登用。10か月後にはデスク(普通の会社なら主任か係長くらい)に昇進、1年半後には副編集長(課長かな?)になって、2年後には編集長(部長ですね)まで行ってしまった。B級の雑誌ばかり出している三流の出版社なら、そういうこともあるかもしれないけど、オレが入ったのは実売で10万部を超え、1冊あたり1億円に迫る広告を売り、スタッフ総勢15名という、超一流のIT雑誌編集部だったんだからね。自分でも信じられないほどうまくいったわけですよ。
そうそう、ちなみに、このIT雑誌でJOYWOWのけーちゃんと出会ったんだよね。彼が『パーミション・マーケティング』という秀作を翻訳したばかりの時だった。オレはもう編集長になっていて、スタッフの1人が「阪本啓一というすごくおもしろい人がいるんです。ぜひ、連載をやらせてください!」といってきた。写真を見たら、カンフー映画に出てきそうな、国籍不明のちょっと強面の男が眼光鋭くレンズを睨んでいる。オレは、文章とかプロフィールとかまったく見ずに、「おお、この人いいじゃない!」ってすぐにOKしたんだよ。顔でわかったね。そこから、10年以上の付き合いが始まったというわけ。
さて、いろんな場面でこの編集者成り上がり話をするとね、みんな「すごいですねぇ」と驚いてくれるんだよね。でも、オレは入社して1週間後には、たぶんそうなるんじゃないかと予想できたんですよ。もちろん、実力とかスキル的には全然、ダメよ。経験もないし、知識もまったく足りてない。なのに、「あれ? もしかしたら、2年後には編集長くらいいけるんじゃないかな」と真面目に思っちゃった。こう見えても、けっこう客観的に物事を眺められるタイプだと自負しているからね、決して身の程知らずに思い込んだわけでもないはず。じゃあ、なんでそう思えたのか? 答えはね、
「15年間、フリーランスでやってきた身としては、会社員の働きぶりがものすごくぬるく思えた」
からなんだね。最初のカルチャーショックは編集会議の場だった。編集長がスタッフに聞く。「じゃあ、次の特集は○○で行く。担当は? だれかやりたい人いる?」。入りたてのオレは息を飲んでそれを見守る。1分が過ぎ、2分が過ぎ、3分が経つ……。だれも手を挙げない! 「なんで??????」と?マークが100個くらいオレの頭に浮かんだね。だってそうでしょ。フリーランスの世界だったら、仕事をゲットできるかどうかが生き死にの分かれ目じゃない。目の前に「特集」という雑誌でイチバンおいしい仕事がぶら下がってるのよ。
もし、その会議に出席している全員がフリーの編集者だったらどうよ。おそらく、「だれかやりたい人?」と編集長が聞いたその瞬間に、すべての人が「はい!」って勢いよく手を挙げているよね。生活かかってるもの。うん、まったく理解できなかった。しばらく、がっかりした表情でスタッフを見ていた編集長は、「え、だれもやりたくないの? じゃあ、えーと、○○さん。やってくれる?」そういって、1人の女性を指名した。彼女は「えー、今月は連載以外に、○○の単発記事もあるし……」と不機嫌そうな顔で答える。まぁ、そんな感じが延々、続くわけね。
そうね、入社して1か月もすると、その女性の気持ちもわかってきた。本当にすごい重労働なのよ。朝11時に出社して、運が良ければ終電に乗れる。でも、たいていは午前2時から4時くらいまでは帰れない。運が悪ければ、そのままオフィスに泊まる。さらにツイてないと、貫徹で次の朝を迎える。「残業」なんて言葉は編集者の辞書にはなかったね。退社するまでの8年間で、二度か三度だけ、定時の7時に帰ったことがあるんだけど、「え、世のサラリーマンてこんなに楽な時間しか働いてないの?」ってこれまたカルチャーショックだったよ。
そんな状態で、特集記事を抱えるなんて、普通に考えたらイヤだものね。気持ちはわかった。でも、オレはそれでも「いつかオレも特集を担当できるようになりたい!」って願いながら働いていたね。フリーランスの血は決して薄めるものかと思っていた。
第二のカルチャーショックは「仕事ぶり」だったね。オレの席はなぜか編集長の目の前でね。スタッフが仕上げた原稿を彼に見せに来るでしょ。そのやりとりが全部、聞こえるのよ。「ここ、用語統一できてないよね。あと、この文章、意味不明なんだけど。それから、この機能には触れないの? 読者はここが知りたいと思ってるんじゃないの?」。まぁ、すごい勢いでダメ出しされるのね。そこでも、オレはこう思ったよ。
「これだけダメ出しされたら、フリーランスだったら一発でクビ。明日から仕事ないよなぁ」
他人が受けているダメ出しなんだけどね、もう、オレは自分がいわれているみたいな気がして、ヒヤヒヤしながら聞いていたよ。だってさ、ミュージシャンだったころ、仕事の依頼主からそこまでいわれたことなかったものね。つーか、オレが知っていた仕事の現場では、「ダメ出し」ってものがそもそもなかったよ。なにもいわずに、「あ、じゃあ帰っていいわ」ですよ。「会社ってなんてやさしいシステムなんだろう」って感動すら覚えたね。
で、最初の給料日にようやくことの真相がつかめたのね。25日に銀行で残高を見てみたら、しっかり何十万というお金が振り込まれている。おそらく、来月も再来月も同じ額が入るんだよね。特集を渡されてイヤな顔した彼女も、ダメ出しくらいまくってた彼も、やっぱり同じように一定の金額がもらえるんだよね。なるほどと思ったよ。これが3番目のカルチャーショックね。つまり、
「会社員って、その月の働きぶりと、その月の給料がリンクしてないんだ」
ってことに気付いたわけ。これがフリーランスとの最大の違いだよね。安定しているわけさ。驚きですよ。ほんと。じゃあ、年俸制みたいな感じで、年間の成績が反映されるのかなと思いきや、「8パーセント以上の減給はしない」なんて取り決めがあったりしてね。これじゃ、必要以上の仕事は受けない方がいいし、少しくらいダメ出しくらってもこたえないよね。
オレが最初の記事をもらったのは入社当日だった。先の編集会議で、付録の小冊子の担当が決まらなかったのね。例によって、だれも手を挙げなかった。そうしたら、会議が終わっていきなり編集長がやってきて、「これ、おまえやって」だよ。右も左も、編集の「へ」の字も知らないオレに、いきなり64ページの冊子がふられてきたわけさ。マジで、パニック起こしそうだったね。でも、言葉でいい表せない恐怖とともに、「チャンスかもしれない」という希望も湧いてきて、「はい。ありがとうございます!」と即答していた。フリーランス魂がそういっちゃったんだね。
そこからはもう、地獄の始まり。調べ物だけで丸3日。執筆に丸2日。もちろん、90パーセント以上にダメ出し食らって、書き直しに丸2日。結局、オレは入社した日から丸々一週間、会社から帰らず、7日間で2、3時間しか眠らずに、文字通り「死にもの狂い」で冊子を完成させたというわけ。で、ようやく「帰ってよし」ってことになった。でも、終電間際だったから、成城学園から歩いて15分のところに住んでいたんだけど、3駅前の経堂止まりの電車しかなかったのよ。
当時は本当に金がなくてね。タクシー代もない。そんなボロボロの状態で1時間もとぼとぼ歩いてようやく家にたどり着いた。でも、その道のりはめちゃくちゃ清々しくって、気持ちよくって、「ああ、オレ、ここで働けるかも」って思ったら、心底うれしかった。そのときの夜風はいまでも忘れないね。携帯もない時代でしょ。よく考えたら、「行ってきマース」っていって家を出てから、それも初めての会社に向かってから、一週間も音沙汰ナシ。かみさん、心配したんだろうなぁ。その日は、風呂にも入らずに死んだように眠ったから、家に着いてからのことは全然、覚えてません。
その後もご想像どおり。翌月には初めてのカラーページを任され、6か月後の年末進行号で初の特集がまわってきた。もちろん、毎回、家には帰らず、ずーっとオフィスに段ボールひいて仮眠とりながらがんばった。1つの記事を担当するごとに、「この記事を最大限にいいものにしよう。そうすれば、必ず次の仕事が回ってくる」。そう、自分にいい聞かせながら、丁寧に繊細に、心を込めて編集したね。もちろん、魂は最後まで「フリーランス」のままだった。
「プロフェッショナルとは、会社に居ながら、社員でありながら、フリーランスの魂を持ち続けられる人」
これがオレの答えだね。仕事は一期一会。1つしくじったら次はない。次がなければ生きていけない。だから、命がけでやる。それじゃあ消耗したり、病気になったりするんじゃないかって? なるわけないじゃない。人間てのはそんなにヤワにできてない。命がけで仕事したら、命がけの充実感が味わえる。「やらされてる」じゃないからね。「やりたい」わけだから。オレが経堂から家までの道のりで味わった、あの感動が待っている。結果はいろいろだよ。失敗もあるし、デキが不満なこともある。でも、命がけでやって、感動に裏切られたことは一度もない。ね、フリーランスでいきましょ!
って、2日前に長すぎるからミドル版にするとかいいながら、結局、書き出すと「続きを読む」になっちゃうわ。いいじゃん。長くてなにが悪い。どうせ、書きたがりなんだよね、オレ。(おわり)


ZONOさんが、編集長時代の雑誌、毎号楽しみにしてたものです。
なので、今回のコラムすごい面白かったです。
がんばろう!って思いました。
なので、がんばります!
目指しているゴールの差が思いっきり出てきますよね。
仕事の成果、評価、関わり。プロフェッショナルな心意気でやっていると、全体を俯瞰する力と、
細部に気遣う細かさと両方に意識が向き、まるで「ハンター」のような感覚が自然に身につくかと。
パソコンの前によくいてると忘れがちになりがちですが、忘れずに仕事やっていきたいところです。
ページの分量ですが、僕はいつものこのくらいのページ数の方が読み応えがあって、考える視点が
増えるのでこちらの方が好きです。