リミッターを外せるか?
おお、JOYWOWのまるちゃん。身内ながら、最近コメントがなかったのでうれしいよ。「大人みたいなものに変移した時に、社会とか世間とかからいつのまにかリミッターがかかっていくんですよね」。うん、いいところに気付いたね。ちょっと日本語変だけど。「リミッターをかけられていく」が正しいね。「リミッター」なんだよね。実をいうと、このところ、ブログのテーマをなににするかかなり困っていたんだよね。話題だけ挙げてみれば、いろいろとあるにはあるのだけど、やっぱり「これ、書きたい!」っていうパッションがないといいものができない。テーマ先行でいくと、なんか説教臭くなっちゃって好きじゃない。
で、なにが必要かというと、オレの頭や心の中にあるなにかが刺激されることなんだね。「おお、そうそう、それがあったじゃん」みたいな感じ。なんだろうね、「これまでに観た映画の中でなにが好き?」と聞かれて困る感じってあるでしょ。たくさんあるはずなんだけど、なんかいいのが浮かんでこない。そんなときに、だれかが挙げた映画から連想されて、「あ、そういえば!」って出てきたりする。で、今日、そのヒントをくれたのが、うちのまるちゃんだったというわけ。「リミッター」ですよ。これって、いつもいろんな人に伝えている大事なテーマなんだよね。というわけで、とても不本意ながら、まるに触発されていってみたいと思います。
最初に質問。「われわれ人間はどのくらいの重さのものを、素手で持ち上がられるでしょうか?」あるいは、「普通の人は100メートルを何秒くらいで走れるでしょうか?」。どう? おそらく、みなさん、自分の能力とかを測りながら、「50キロ!」「100メートルは13秒くらい!」てな感じの数字を出しているんじゃないか。ところがですよ、聞いてびっくり! 人は100キロくらいの荷物だったらだれでも持ち上げられるし、100メートルも9秒台で走れちゃうんだって。もちろん、特別な訓練なしにね。信じられますか?
まぁ、とうてい信じがたいよね。それもそのはず。この驚きの数字には「但し書き」が付くのね。人はリフティングなんかの訓練なしに、100キロの荷物を持ち上がられる。ただし、その瞬間に、腕の骨がポキっと折れたり、腰の骨がゴキっと砕けたりするそうだ。100メートル走もまったく同じ。トレーニングなしに9秒台で走ったら、筋肉や筋がボロボロになっちゃうわけ。だから、人の脳にはそういう無茶をしないための「ストッパー」をかける働きがあるらしいのね。おもしろいでしょ。できるんだけど、やったら死んじゃうから、「できない」って思うようにストッパーをかける。うまくできてるよね。
もちろん、ひどい目に遭いたくなければ、その手のストッパー、すなわちリミッターは外さないほうがいいに決まってる。ほら、泥酔した人が翌朝起きたら大けがしてたみたいな話ってあるでしょ。あれも、おそらく酔った勢いでなんらかのリミッターを外してしまったための被害だよね。でもね、人間ってやっぱり不思議な生き物でさ、そういう肉体的な無茶を防ぐためのリミッターを変なところにもかけるようにできているのね。つまり、
「対象がなんであれ、”これをしたら不利益を被る”と一度でも学習したことにはリミッターをかける」
そういう習性を持っちゃっているのさ。ほら、小学校のホームルームで発言した子供が、まわりからいろいろと避難されたあと、すっかり手を挙げなくなることってあるじゃない。あれもある種のリミッターだよね。あと、オレのギタースクールでは、基本的に歌も歌ってもらうのだけど、最初から大きな声で歌える人はまずいない。蚊の泣くような声でささやくように「ボソボソ」っとやる。まぁ、ボサノバだからそれでもいいっちゃいいのだけど、オレは「あり方」にこだわるから、「そういう歌い方はダメ」っていってしっかり歌ってもらう。
で、その「歌ってもらう」ときになにをするかというと、生徒の「リミッターを外す」わけ。そうね、想像するに、やっぱり小学校の音楽の授業かなんかで、みんなの前で歌ったときに笑われたとかね、そういう苦い経験があるんだろうね。人生のどこかで、「歌うときはリミッターかけた方がいい」って自分にプログラムしちゃったんだね。それを外すためには苦い経験を上回る「心地よい経験」をしてもらうしかない。一番、単純な方法はやっぱり「誉めまくる」だよね。「すごいいい声してるじゃない!」「音程がめちゃくちゃいいよ」とかね。ウソはいわないけど、そうとう大げさにいうことは確か。
それから、けっこう多くの人の中にあるリミッターが「目立たないようにする」ってやつね。できる限り、人様の注目を集めないようにするわけ。これも、幼少時代か思春期の多感なころに、「目立って損した」苦い経験があるんだと思うけどね。このリミッターがかかるとどうなるか。まず、服装が地味になる。男だったら、グレーや紺や黒といった無難な色しか着られなくなる。なるべく、不特定多数のなかに「紛れる」ような出で立ちを好むようになるね。でもって、幹事とかイベントの企画とか、そういう注目される立場を極力避けるようになる。さらにそのリミッターが強まってくると、目立っている人を非難したくなったりね。「あいつは目立ちたがり屋だよね」とかいっちゃうわけ。
で、オレがとくにヤバイと思うリミッターが2つあって、1つは「一生懸命やらない」ってやつ。どこでそんなのを付けちゃったんだろうね。おそらく、過去に一生懸命なにかをやってまったく報われなかったとか、仲間はずれにされたとか、だれも誉めてくれなかったとかだろうね。こういうリミッターをかけている人は、いつも60パーセントくらいの力しか出さないって決めてるのね。たとえば、会社であるプロジェクトに入れられて、「社運をかけて成功させましょう! みんなかんばろう!」みたいな壮行式のときに、1人、冷ややかに「勝手にやってくれよ」と心でつぶやいていたりする。おそらく、深いところで自分の魂は「ああ、オレも一緒に汗水たらして本気でやってみたい」って叫んでいるんだけどね、いかんせん、リミッターだからどうしようもない。
もう1つのヤバイ系リミッターは、なにかと「自分にはできない」って思い込むやつね。これは親かな。オレには信じられないんだけどね、実は、親が子供の可能性をつぶしているケースってとても多いんですよ。たとえば、子供が野球部に入ったとする。家に帰って来て、「オレ、イチローみたいな大リーガーになる!」なんて無邪気にいうでしょ。そうすると、晩酌しながらオヤジが「ハハハ、おまえみたいな運動神経のないヤツがなれっこないって」なんて軽口を叩く。あるいは、「母さん、オレ、東大に行って弁護士になりたい!」なんていうと、おばさんパーマのお母ちゃんから、「あんたは親に似てバカなんだからやめときないさい!」と頭ごなしに否定されたりする。
まぁ、いまの親は悪い意味でこの逆だから、最近は少なくなったのかな? でもオレの世代の親は日常茶飯事にそういうこといってたよ。話はそれるけど、こういうケースって実は酷い真実が裏にあるんだよ。まず、親が自分の人生に「新しい可能性」を見いだせないってのがベースにある。「いくらがんばったって自分らの人生はもうこんなもの」って感じであきらめて生きている。そうするとね、無限の未来を持っている子供にジェラシーを感じるわけ。しかも、自分のDNAを持った分身みたいなヤツがプロ野球だ弁護士だって、自分たちがどうあがいてもなれなかったものになろうとしている。それが悔しくって、無意識に可能性をつぶしにかかるわけ。「おまえもオレたちみたいに、中流の普通の人でいなさい!」ってね。イヤな話だけど、これが酷い真実だったりするんだよ。それほど人間というのは弱い生き物ってこと。気をつけましょうね。
はい、おそらくこの話題って本当は心理学の分野なんだろうね。素人のオレがとやかくいえるほど簡単なものじゃないかもしれない。でもね、大人になったいま、「自分にどんなリミッターがかかっているか」を振り返ってみるのも悪くない。オレはそう思っているのね。自分のことでいえば、いつもチェックしているな。やればいいのに躊躇していることってたくさんあるでしょ。オレは、自分の中にそういうのが出てくるたびに、
「これはいつどこで身につけた、なにを避けるためのリミッターなんだろう?」
って探ってみるようにしている。たいては見つかるよ。「ああ、あの仕事でやったヘマだ」「ああ、昔つきあっていたあの娘にいわれた一言だ」とかね。学校でもらったものもあるし、親からいただいたものもある。実際には迷惑な話なんだけど、子供のころに大人がいろんなリミッターをプレゼントしてくれてるってことね。もちろん、そいつと一生、一緒に生きていくのも悪くない。でも、別の選択肢もある。「いらないリミッターは全部、外してしまう」って選択肢ね。外してしまえば、ある呪縛から解き放たれて少しだけ自由になれるし、自分ができることの可能性もちょっとは広がる。
勇気はいるよね。リミッター外すと、避けてたことをやることになるわけだから。オレの生徒なら、大きな声で歌わなきゃいけなくなる。目立つのがイヤだった人が人前に出ることになる。一生懸命やらないと決めてた人が全力を出すようになる。そうそう、参考までに書いておくね。これまでに20人くらいの生徒に歌を教えたんだけど、大きな声で歌えるようになって、それまでより不幸になった人は1人もいない。むしろ、「音楽って本当に素晴らしいですね」とかいう人ばかりだったな。そりゃあ、そうだよね。100キロの荷物を持ち上げるのと違って、大きな声で歌を歌ったって死にはしないんだものね。つまり、人前に出て目立っても、一生懸命やっても死なないってのは同じってことよ。
会議の席で自分の意見がいいづらい、自分に能力があるって心から信じられない、心からしあわせでいることに罪悪感を持ってしまう。あるでしょ? どんなリミッターが入っているのかね? まずは、そいつを探ってみて、その原因となる「不安や恐怖を与えた人」が見つかったら、そいつを許すか許さないか決めてみる。もし、許すんだったら、たぶん、そのリミッターは外れるでしょう。結局のところ、「自分と向き合う勇気」「他人を許す勇気」なのかもしれないね。
書いていて思ったのだけど、人生って本当に不思議だよね。生まれたときはたぶん、ノーリミッターだよ。赤ん坊は時と場所なんてお構いなしで、絶叫して泣きまくれるじゃない。あのノーリミッターな感じが本当はベストなんだよね。でも、おかしなことに、成長するに従って友達や周囲の大人からいろんなリミッターをはめられてしまう。で、すっかり大人になってから、もう一度、そのリミッターの正体を調べて外す努力をしなけりゃいけないわけだからね。そこに、なんらかの「この世の秘密」が隠されているんだろうね。やっぱり、修行なのかね。死ぬまで勉強ってことですか。
明日はJOYWOWトークライブ、シーズン5の収録だ。毎回、オレの自宅でやる。機材があるからね。でもって、明日は「JOYWOW期待の大型新人」と話題のIちゃんがゲスト参加する。正式にJOYWOWに参加するためには、7人の兄さん姐さんたちの厳しい審査を受けなくちゃいけない。これまでに、その入門試験を受けた人は1人しかいないんだけどね。まぁ、シビアだったよ。自分が受験者だったら、絶対に逃げ出したくなる雰囲気。近々、Iちゃんもその試練を体験するんだろうね。オレもものすごく期待しているからがんばってほしいと思っているよ。こうやって、すごいメンバーがたくさん集まってくると、JOYWOWも盛り上がるねぇ。でも、油断してるとすぐに新人たちに肩越されるから、気が抜けないよ、オレ。(おわり)


ZONO兄さん、すんません、日本語変でしたね(笑)。
> 「これはいつどこで身につけた、なにを避けるためのリミッターなんだろう?」
う~む、そうなんですよね。
リミッター武装をくり返していると、安全で安心な殻のようなものにポコッと入っていっちゃうんですよね。
先日、ZONO兄さんに客満堂で指摘されたのはこういうことなんですね(涙)。
それにしても、世の中には「しない、ということを積極的にする」人や業務や企業が多すぎる。
この慢性病とも言えるリミッターとの戦いは大変ッス。