ジャンルを超える
みなさん、この数日間、ブログの更新が途絶えてしまってすみませんでした! というのも、個人的にいろいろと煮詰まってたりしてエネルギーが限りなくゼロに近い状態でした。前回のエネルギーの話にはあえて書かなかったのだけど、こういうときのオレの対策は「なにもしないこと」なんです。エネルギーの自給自足もままならないとき、オレは本当にあらゆることをストップさせて「なにもしない」に徹します。で、ロッキーの復活のテーマが頭の中で鳴り響くまでダラダラしているというわけ。
「チャカチャンチャカチャンチャカチャンチャカチャン〜」
で、今朝、14時間くらいの睡眠をとって目が覚めたとき、確かにロッキーのテーマが鳴りました。で、ここに復活を遂げて戻ってきたよー。たぶんね、今月末の「JOYWOWツアー」で初のソロライブをやるでしょ。そのことに向かっていく勇気というか自信というか、そういうのがはっきりしなかったんだね。いつも書いてるけど、我々、人間はとても不完全。塾長といえども、漢(おとこ)に徹していられないときがあるんだなぁ。ごめんなさいね。でも、しっかり修正していまは立ち上がってます。
さてさて、オレが落ちてる間にも、たくさんのコメントをいただいています。というか、このブログ、更新がちょっと途絶えると、みなさん心配してコメント書いてくれる傾向があるよね。とても勇気づけられるし、励みになります。本当に、ありがとう! Taizoさん、ノリコさん、由歌利さん、Yutaさん、暖かいコメントに感謝します。今日はね、とても書きたいことがあるので、みなさんからの質問やコメントには明日以降、順番にお答えしていきますね。楽しみにしていてください。で、今日は、「いいもの」と「売れるもの」って話をするね。じゃ、ひさびさに、いってみます!
今週の日曜日に、けーちゃんことJOYWOW阪本の『お金のライブ』というセミナーに参加させてもらった。なにが苦手って、オレはお金ほど苦手なテーマはない。入ったら入った以上に遣うし、これまでの人生で貯金なんてしたこともない。フリーになってから5年ほど経つけれども、確定申告だってまわりの人にいろいろ助けてもらいながら、ようやく今年になってできた次第。計画性ゼロ、興味ゼロ、けれどもやっぱりお金はあったほうがいい。そんな状態で、けっこう真面目に勉強させてもらおうと、この日のセミナーを楽しみにしていたんだね。
で、中身はもちろん、「さすが!」の内容だった。彼が提唱する「ビジネス2.0」という新しい価値観をベースに、これから我々がどんな風にお金と関わっていけばいいかがとてもわかりやすく語られた。資源を使い尽くして、働く人も使い捨てにして、金銭的な利益のみを追求するのがビジネス1.0。サステイナブルで環境に優しく、なによりも「人」を大切にして、買う人の人生を豊かにするのがビジネス2.0。この発想は、けーちゃんだけではなく、いまではJOYWOW全体のコンセプトになっている。
じゃあ、そのビジネス2.0の時代に、創り手はなにを生み出せばいいのか。
これが大きなテーマだよね。実際に、この日の参加者もここに大きな疑問を感じていたみたいだったね。つまり、環境に優しい商品、買う人の人生を豊かにする商品、これらの「いいもの」が「売れるもの」とイコールなのか。それとも、やっぱり、「売れるもの」というのは、なにか別の戦略や要素が必要なのか。おそらく、参加されたみなさんの頭の中で想像されていたのは、
「いいものを作っても、結局は一部の人にしか理解されず、結果として売れなかった」
っていう映像だったような気がする。実際にオレも、若いころメジャーで売れようと必死にもがいて音楽をやっていた時代の光景が、ものすごい勢いでフラッシュバックしてた。そう、あのころの思いといえば、「いいものなんてだれも理解してくれない。売れるものといいものは別なんだ」ばかりだったね。あれから、15年くらいたったいま、オレはどう考えているか。これを書かなきゃダメだって、けーちゃんの話を聞きながら強く思ったというわけ。
まずは、音楽や映画、演劇、美術といった芸術のことを考えてみようかな。たとえば、美術館に行ったとする。もちろん、美術に関する知識はゼロの状態。はたして、どのくらい「作品のよさ」を理解できるだろうか。あるいは、クラシックのコンサートでもいい。初めてオーケストラの演奏で組曲なんかを聴いたとする。2時間くらいの生演奏ね。最初は音の迫力に圧倒されるかもしれないけど、最後まで居眠りをせずに、心から楽しめるだろうか?
踊りに興味のない人がバレエを見る。J-POPしか聞いたことがない人がジャズの生演奏を聴く。本を読む習慣のない人が古典文学を読む。まぁ、99パーセント楽しめないことは請け合いだよね。つまりね、いわゆる本格的な芸術の世界というのは、目や耳や触覚なんかの五感に加え、ある種の感性を鍛えないと「楽しむ」という世界にはたどり着けないものだとオレは思うのね。なぜならば、そこには「記号」や「文法」のような「その世界独特の約束ごと」がたくさんあるからなんだね。
音楽でいうならば、コード進行。童謡や流行歌に使われるコードは多くて5つか6つ。ドミソ、ファラド、ソシレ、ラドミ、レファラ、ミソシ。この6つあれば、ほとんどの流行歌は歌えてしまう。つまり、とても乱暴にいってしまえば、音楽的な経験の少ない人でも共感できる範囲というのが、この6個のコードの世界というわけ。それから、時間もあるよね。一般の人が飽きずに1曲を聴いていられる時間は、おそらく5分くらい。これは、ある種の忍耐力みたいなものかな。
はい、じゃあ、ジャズの世界はどうなっているかというと、まず、登場するコードの数は10や20はあたりまえ。2小節単位くらいで転調しまくって、使う音階がどんどん変わる。この進み方に慣れていない人は、理解不能というか、脳が消化しきれずに拒否反応が出ちゃう。そのうえ、1曲の長さが30分を超えたりするもんだから、もう寝るしかないって状態になるわけ。ニューヨークの観光なんかで、スイート・ベージルやブルー・ノートといったジャズバーに行く人が多いのだけど、高いお金払ってみんな熟睡しているよね。つまりはこういうことなんだな。
あるいはね、ブルースや70年代のハードロックなんかだと、「ブルーノート」という特殊な音階が登場する。加えて、この世界独特のグルーブと音質ね。これもある程度のリスニング経験がなければ体に入ってこないよね。初めてブルースのCDを聴いて、心底惚れちゃう小学生なんてたぶん、皆無だよね。「オヤジがブルース好きで、お母さんのお腹の中にいるときからブルーノート聴いてました」なんて子供は別としてね。
なにがいいたいかというとね、こういう「あるジャンル」に限った話としては、「いいものと売れるものは別」って公式が成り立つということ。だって、その世界でどれだけ優れていても、それを楽しむ知識や感性がなければ「どういいのか」がわからないのだからね。オレは今日まで、あらゆるジャンルの音楽を聴いてきた。CDの枚数にしたら5万枚くらいはいくと思う。だから、一般の人よりも、ロック、ポップス、クラシックやジャズにブラジル音楽といった幅広いジャンルの音楽に共感できる。でも、いざ、バレエなんかに招待されると、やっぱり腑に落ちずに居眠りしたりするわけ。じゃあ、そのバレエがよくないのかといえば、答えはNOで、オレのバレエに対する審美眼が足りないわけ。
オレが音楽をやっていた80年代、『ザ・ベストテン』という番組あった。これが一般的なリスナーにとっての唯一の音楽情報源だったんだね。マッチやトシちゃん、中森明菜にチェッカーズ。寺尾 聰の『ルビーの指環』が何週も連続で1位だったりしてね。まだまだ、米国や英国に比べると、音楽体験が本当に幼稚だったわけ。若いころのオレは、そういう歌謡曲的な売れ筋の音楽をやる気がまったくなかったから、世間を呪って生きていたね。で、仲間と飲むたびに「いいものなんて売れねぇんだよ」って愚痴をこぼしていた。
ところがね、世界にはその「ジャンルの壁」を飛び超えて、受け手に一切の知識や感性を要求することなく、ドカーンと売れまくる人がいるんだよね。たとえば、マイケル・ジャクソン。彼の『スリラー』はなんと1億4000万枚売れた。いまでこそ、マイケルといえば、だれもが知るスーパースターだけど、彼はもともとR&B(リズム・アンド・ブルース)というそれほどメジャーではないジャンルの歌手だった。どちらかというと、アフロアメリカンのための音楽だよね。
その後、時代の流れとともに、ソウルというジャンルに移行するのだけど、みなさん、とくに、音楽にあまり詳しくない方々、ソウルのアーティストを1人挙げてといわれて、答えられますか? おそらく、出てこないよね。知らなくて当然。ソウルなんて下手すりゃ、ジャズと同じくらいマニアックな音楽ですよ。とくに、『スリラー』が出た当時はね。で、収録されている曲がどうかといえば、やっぱりバリバリのソウルミュージックなんだよね。決して、一般向けにわかりやすく手が加えられているわけじゃない。
じゃあ、『スリラー』は他のソウルのアルバムと比べてなにがすごかったのか? オレが思うところを挙げてみましょうか。
1)マイケル・ジャクソンの歌が奇跡的にすごかった。
2)『ビリー・ジーン』『ビート・イット』『スリラー』『ヒューマン・ネイチャー』といった楽曲が天才的に素晴らしかった。
3)それぞれのミュージックビデオが画期的によくできていた。
ほかにもプロモーションや売り方みたいな「HOW」の部分も無関係ではないと思う。でも、マイケル以降、同様の、あるいはそれ以上のHOWを試みたアーティストは山ほどいたけれども、『スリラー』以上に売れたアルバムはない。つまり、上に挙げたような「WHAT」、すなわち、作品自体が奇跡的に素晴らしかったと評価すべきだとオレは思うわけです。
マイケルだけじゃないよ。他にも、そのジャンルにはまったく興味はないけれど、名前だけは知っているというアーティストはたくさんいるでしょ。ピカソ、シェークスピア、モーツアルト、芥川龍之介、黒澤 明。たとえば、『モナ・リザ』を知らない人はいないよね。最近では熊川哲也さんなんかどうよ。バレエダンサーだけど、知ってるでしょ。
日本人が創った曲で、唯一、全米ヒットチャート1位を獲得したものはなにか? 九ちゃんこと、坂本 九さんが歌った『上を向いて歩こう』だよね。60年代だよ。アメリカ人にとっては、日本人の歌う曲なんてジャンルを超えているどころか、文化や世界観や、もうありとあらゆるものを飛び越えてるよね。でも、たしかにヒットした。これに関しては議論の余地はないね。WHAT! 楽曲が神懸かり的にブラボーだったんですよ。真の名曲。珠玉の作品。いま聴いても涙がでるほど素敵な曲なんです。
さて、ここからが結論。まずはこれ。
「あるジャンルの中にあり続けるなら、いいものが売れるとは限らない」
なぜならば、特定のジャンルの「よさ」を味わうためにはその道の知識や感性を鍛える必要があるから。でもって、そのうえで、
「真に素晴らしいものはジャンルを超え、特殊な知識や感性を要求することなく、多くの人に共感をもたらす」
これが、いまのオレが至った結論ね。でもって、1つ、絶対に間違えてはいけないことがある。それは、
「真に素晴らしいものを創れるのは一部の天才ではなく、真に素晴らしいものを創れると信じ、最後まであきらめなかった人である」
ということ。マイケル・ジャクソンだからできた。ピカソは天才だからできた。そうじゃない。彼らが元から天才だったのではなく、素晴らしいものを創ったから天才と呼ばれているに過ぎないわけ。もの作りの最初のステップで「どうせオレは天才じゃないから」といってしまったら、素晴らしいものにたどり着けるはずがない。1パーセント、いや、0.001パーセントでも可能性があるのなら、少なくとも、「できるかもしれない」と思って始めなくてどうする。
「そこそこいいもの」は売れるかどうかわからない。でも、「真にいいもの」は必ず売れる。結果なんてどうでもいい。要は「真にいいもの」を創る気持ちがあるかないかじゃない? だから、オレは、少なくとも自分が創り手であるならば、
「真にいいものを創れば必ず売れると信じて創る」
ことこそ、重要なんじゃないかと思うわけです。だから、間違っても「いいものを創れば売れるんでしょうか」なんて質問はしちゃいけない。それは、本当に自分自身で「真にいいものができた!」といえたそのときに思いを巡らすことであって、創る前に確かめようとすることじゃない。まずは、創ってみようって。ね、できてから心配しようよ。それまでは、信じて創るしかない。それが我々、創り手の使命なんだとオレは思うな。
「環境にやさしい商品ができました」。それだけじゃ、環境マニアにしか共感してもらえない。環境というジャンルを超えていないんだな。なぜ、それが必要なのかをわかるには知識や感性が必要でしょ。だから、「その商品はだれもが使いたくなるくらい、真に素晴らしいものなのか?」そこに真摯に向き合わなきゃいけない。自分が創ったものにこんな但し書きが付いていないかチェックしなきゃいけない。
「この商品(作品)を理解するには○○と○○の知識や体験が必要です」
ね、もしくは、こんな但し書き。
「この商品にはわたしの○○な思いが込められています。お買い上げいただく前に、ぜひ、わたしと1時間くらい話をしてください」
もし、これらの但し書きが付いていたら、その商品や作品はジャンルを超えていない。だから、よくできたと思っても売れないでしょう。説明なし、いい訳なし。真っ裸でポツンと置いて、それでも輝きを放つような「完全無欠のいいもの」を創りましょう。いま、自分が創っている商品。イスや机でもいい。雑誌や広告でもいい。サービスでもいい。なんでもいいから、目の前の「それ」を使ってやってみたらいいと思うな。「いいものは売れる」。これがなくっちゃつまらないじゃない。ね。
というわけでね、オレがけーちゃんの『お金のライブ』からインスパイヤーされたのが今回の話。参加させてもらって本当によかったと思っている。同時に、ビジネス2.0時代のもの作りというのが、どれほど大変なものかもわかった気がする。あらゆることを本気でやらなきゃダメなんだろうね。けーちゃんの言葉でいうならば、「不連続」の世界だからね。いままでの延長ではなく、大転換。焼き直しやリメイクみたいなものじゃなくて、突然変異のアイデアが求められている。「変えられる」「できる」と信じる意志も試されているよね。これまで以上に男塾がんばろうと思うし、「ビジネス2.0時代の音楽ってどんなだろうな?」って、思いを巡らせているよ、オレ。(おわり)


ZONOさん、上海のJohnです。
昨年のJOYWOWパーティーで簡単にご挨拶させていただきました(笑)
いつも「男塾@blog」を拝見しています。
今日の「ジャンルを超える」、ヤバいです。。。めっちゃ私のハートにクリックしました。
・「あるジャンルの中にあり続けるなら、いいものが売れるとは限らない」
・「真に素晴らしいものはジャンルを超え、特殊な知識や感性を要求することなく、多くの人に共感をもたらす」
・「真に素晴らしいものを創れるのは一部の天才ではなく、真に素晴らしいものを創れると信じ、最後まであき
らめなかった人である」
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このあたり、鳥肌が立つくらい共感します。
私も中国ビジネスのプロではありますが、やはりジャンルの中に篭もりがちです。専門知識の牙城を築いてしまっているからですね。牙城から出るのは怖い気もします。
しかし、あくまでビジネスをやっていますので日本でも中国でもグローバルに通じるとか、ジャンルを越えた共通の法則を見出すとか、オリジナルの切り口で境界を越えていくことで、更にお客様の共感を得、少しずつ敷衍させていくチャンスを見出せるのだと思いました。
そして、そのオリジナルの切り口でジャンルを越えていくという姿勢を見せること。たとえば、「この人は本気で取り組んでいる」と思ってもらうことは相手の共感を得る上で非常に大切です。私は、「一生、毎日続ける」とか、最初に「最後まであきらめない」ことを決めるという行動を取っています。
「最後まであきらめない」ことは、最初の覚悟が全てです。「あきらめない」ことを決めていると、どんな人からの批判もアドバイスに変える事ができます。そういう覚悟で作り続けていると、いつかは真に素晴らしいものを創ることができるし、もちろん私のような凡人でもそれを実行できると思いました。
今日はZONOさんのブログを読んで、こういうことが頭に浮かびました。これからも何卒よろしくお願い申し上げます。