不自由を楽しめ!
はい、いつもコメントありがとうね! まずはしんさん。「志の違い、思いが行動に、人生に表れるのだなと」。ね、そのとおりですよ。言葉や行動はそれなりに装うこともできるのだけど、そこに思いや志があるかどうかで「本物」かそうじゃないかが決まる。でもって、今という時代は本物を求めているんだと思うな。素晴らしいコメントありがとう!
それから、あやさん。いつもありがとうね。15分で1年分の報告ね。しかも、上司に話したいことを塗り替えられてしまってね。キツイだろうね。「15分、決められた環境の中でどこまで想いをこめられるか、話したいことを話せるように持っていくにはどうすればよいか。。がんばり中です」。うん、そうだ、そうだ。きっとなにかの意味があるんですよ。そのキツイことにね。1つ、アドバイスというかオレなりに感じた言葉を贈ります。それが今日のテーマ。いってみるね。
どんな言葉かというとね、これに尽きる!
「不自由を楽しめ!」
どう? 「制限を楽しめ!」と言い換えてもいいかな。この言葉の根底にはオレの人生観みたいなものが流れている。オレにいわせれば、「人生はゲームみたいなもの」なんですよ。ほら、人間なんてほおっておくとすぐに「深刻」になっちゃうでしょ。オレももちろんその1人。だから、「深刻になるなよ」って自戒も込めて、いつも自分に言い聞かせているわけさ。「しょせん、人生なんてゲームだよ」ってね。自分はもちろん、そのゲームのプレイヤー。人生で起こるさまざまな問題や課題は一種のクエスト。で、大事なのは、「そのゲームを見ているもう1人の自分を持つ」ってことだと、オレは思うのね。
自分の人生を俯瞰的に眺めている神様みたいな立場ね。で、その人(それも自分なのだけどね)がいうわけさ。「不自由を楽しめ!」ってね。わかるかな? この俯瞰的な立場で見ないとちょっとしっくり来ないからね。まずは、その状態を創ってから読み続けてね。
はい、そうするとですよ。多くの人は「自由がいい」なんていうけれども、はたしてそうか? っていう疑問が湧いてくる。だってさ、ゲームなんだからね。プレイヤーが自由になんでもできるゲームなんて本当におもしろいかな? たぶん、15分もしないうちに飽きちゃうよね。ゲームには必ずルールや制限や「これはできない」っていう宿命みたいなものがある。プレイヤーはそれを承知で、その制限を課せられた世界を冒険するわけだよね。
そこでだ、先に出てきた「神様みたいな立場」のもう1人の自分に聞いてみるのね。「不自由なほうがおもしろいか?」って。まぁ、面倒だなとは思うかもしれないよね。でも、どっちがおもしろいかといったら、クリアしがいがあるほうがいいに決まってる。つまり、手足をガチガチに縛られた状態で馬小屋に監禁されている正義の味方って感じのスタートがいいわけさ。さぁ、この絶対絶命の状態から彼は抜け出せるのか? そして、村娘を助け出せるのか? ワクワクドキドキの場面だよね。
オレはこれまで、音楽や編集の世界で仕事をしてきたのだけど、クリエイティブな世界に「不自由」はつきもの。というか、不自由な中でオリジナリティーを発揮しなきゃいけない場面ばかりといってもいいくらい。映画やドラマの音楽制作とか、クライアントが厳しい広告記事の制作とかね。フォーマットや方向性や使える素材がガチガチに決まっていて、制作者の意図なんて入る余地がないって感じでね。
そこで、素朴な疑問が生じるよね。「じゃあ、だれがやっても同じじゃないか」ってね。ところが、これが全然、違うんだね。99パーセントやることが決まっていても、1パーセントのところで、「だれがそれを手がけたのか」って違いが出てくる。でもって、仕上がりの差は歴然なんだな。不思議だよね。タッチというか質感というか、人が見たり触ったり聞いたりすれば、すぐにわかるような違いが制限の中でも生まれてくるわけさ。
ここではね、その秘密を細かく分析したりはしないけど、おそらく、「人手を介する」というのは、オレたちの想像以上に大きなパワーを持っているんだと思うな。若い人はね、このあたりのパワーを理解できないでいる。だから、「自分を出したい」と思っているのに制限や不自由さが多いと、フラストレーションが溜まりまくる。「これじゃ、オレがやる意味はありません!」みたいな感じでね。そういうことをいう人は制作者としては二流だといわざるを得ないね、やっぱり。
制作会議みたいな場があるじゃない。クライアントがいてオレがいて、デザイナーとかが同席しててね。オレはその最初の会がとても楽しみ。なにを考えてワクワクしているかというとね、「今回はどれだけキツイ注文がだされるんだろう?」ってこと。もっといえばさ、「どういう方法でオレの手足を縛ってくるんだろうか。今回は鎖か? それともハサミでも切れない合成樹脂か?」みたいな感じ。やっぱりマゾなのかなぁ? うん、そういう感じ。「どんな風にいじめてくれるの?」ってね。
だから、「いや、今回はもう倉園さんにお任せしますんで、好きなように暴れてください」とかいわれると、がっかりしちゃうんだよね、実際。「え? 制限なしですか」みたいにね。もう、先の若者とまったく逆の反応でね。「もっと制限を課してくれないと自分が出せません!」っていいたくなる。ちょっと、話が横道にそれるけど、「全部、お任せします」ほど危険な仕事はないね。任せるといって最後まで文句をいわないクライアントは皆無。絶対に、形が見えたところでいろいろ注文してくる。要は、最初のコンセプトがまったくないままオレに発注したって証拠なのよ。
で、制限がガチガチにある発注が来たとするでしょ。そこから1週間くらいかけて「1パーセントの工夫の余地をどうするか」を考えるよね。「考える」というのは正しくなくて、「想像する」かな? 左脳じゃなくてイメージの世界。完成した「まっとうな図」をまず、イメージする。オレがやらなかった場合の完成図って意味かな。まぁ、こぎれいにまとまっているけど、あまりおもしろくはない。じゃあ、そいつにどうやって魂を吹き込むか。ここが、
「クリエイターとして最高にエクスタシーを感じる瞬間」
なんですよ。クライアントはオレの才能や個性を知ってか知らずか、とにかくオレに発注してきた。そこで、オレはこんな風に考える。オレによって生み出されようとしている記事なり、音楽なり、商品なりを「子供」とたとえてね、こんな風に自分に言い聞かせるわけ。
「この子は、オレを親に選んで、オレから生まれることを決めた。だったら、できることは全部してあげよう。生まれてきて、“ああ、これだったら他の人を親に選んだほうがよかった”って後悔させないように智恵をしぼってあげよう」
ってね。運命を感じちゃうわけさ。そういえば、本当の人間の子供も、99パーセントはフォーマットが決まっているよね。人間としての体をなしているわけだから、「右手は2メートルくらい長くしよう」なんて勝手に決めるわけにはいかない。それと同じかもね。じゃあ、親としてオレが与えられる1パーセントの個性はなにか? そこに集中してありったけのアイデアをぶち込むわけね。
そうそう、会社なんかだと本当に制限だらけかもね。とくに、上司がガチガチ君だった場合はね。前にもこのブログで書いたけど、本当に素晴らしい上司だったら、部下に考えさせて部下に答えを出させて、失敗させて、そのケツは責任もって自分で拭く。でも、そこまでいかない二流の上司は、お偉いさんが集まる会議の場で上司の責任を追及されないように、予防線を打つことばかりに気を遣う。
その結果、あれやこれやと口を出して、自分という小さな価値観で見て納得いくように中身を固めちゃうのね。まぁ、気が小さいビビリ屋さんだから、多めに見てあげるといいと思うよ。シマリスみたいに弱い存在だから、あんまりいじめないほうがいいね。仕方がないから、「不自由を楽しむ」ことを考えてみよう。ガチガチ君相手に、どこまで自分の色を出せるか。
最初に書いたように、ゲームだからね。深刻になっちゃいけない。場面はガチガチ君が自分の企画に口を出してきて、中身をガチガチ君色に染めちゃった。そこで、ドラマチックな音楽が鳴って、テロップが流れる。
「あなたの企画は危機一髪の状況。相手はガチガチ君。気が小さいぞ! あまりいじめるといじけて、あなたを異動させてしまうかもしれない。口論している時間もない。さぁ、どうする? ゴールはその企画を自分が納得のいく素晴らしいものに仕上げること。ただし、ガチガチ君をいじけさせてはいけない。じゃ、いくよ! クエスト、スタート!」
ね、こんな感じ。楽しくやってみましょう。「ああ、これだけ制限があっても、結構、いろいろ工夫の余地があるんだなぁ」って思えたら最高! 思えなくてもゲームだから気にしない。また、次の機会にチャレンジする。それだけよ。
今日の最後にね、このあやさんみたいに「自分」をしっかり持ってて、それゆえに、くだらない会社の軋轢みたいなものに巻き込まれて、だんだんとエネルギーを吸い取られていくタイプの人に1つアドバイスね。まずは、今日、ずっと書いてきた「ゲーム感覚」を身につけてください。深刻になっちゃだめね。で、次に、この言葉をいつも胸に刻んでいてほしいの。
「伝家の宝刀」
意味不明でしょ。うん、説明しますよ。そういう「できる人」にはいつも正しさがあるよね。議論すれば絶対に負けない。いつでもガチガチ君くらいは言い負かせる。だからこそですよ、「刀を抜くタイミング」をちゃんと計らなくちゃダメ。1年間とおして、50回くらい上司と意見が合わないとするでしょ。そのうちの48回くらいは「刀を抜かずに負けてあげる」のよ。で、「ここは絶対に譲れない」ってときがあるよね。たとえば、社運をかけたプロジェクトとか、それを譲ったら自分じゃなくなるみたいな人生を賭けて挑まなきゃいけない闘いの場がね。
そのときですよ。あなたの全能力と情熱を持って「伝家の宝刀」を抜くの! エクスカリバーでも名刀正宗でもいいだけど、そいつをサクッと抜く。ただし、多くても年に1、2回くらいだな。なぜ、そうするかというとね、そういう「できる人」の意見というのはとても貴重なわけ。だけども、年中、上司ともめていたら、「ここぞ」というときも、「ああ、また始まった」なんて思われていつもと同じ扱いされちゃうでしょ。それは、自分にとっても会社にとっても損なんです。
シマリスみたいな上司なんていつでも言い負かせるでしょ。だから、本当に強いあなたは、普段は負けといてあげるくらいでバランスが取れるんです。ね、伝家の宝刀。いつでも抜けるけど、ここぞというときしか使わない。かっこいいよね。「能ある鷹は爪を隠す」なんて言葉もあるでしょ。意味を取り違えるといやらしい感じになっちゃうんだけどね。で、これは亡くなったオレのオヤジが最後にくれた手紙に書いてあった言葉でもある。いまでも、とても大切にしているよ。
はい、今日はこんな感じかな。で、もう1人、コメントくれたケセラちゃん。もう、JOYWOWの身内だってバレバレのメールアドレスなんですけどね。「いつもこっそり拝見させていただいていました」って、ブログをこっそり見るってどういうことよ。オレのブログはエロサイトかってね。で、なに? 「ZONOさんが考える”男と女の違い”って何ですか?」って、もう、どうしてうちの人たちはこういうビッグクエスチョンばかり送ってくるのかね。答えますよ、ちゃんと。わかりましたよ。明日のブログで書けばいいんでしょ。っていうか、この2日間、この質問の答えが浮かばずに、悩みっぱなしだよ、オレ。(おわり)


ZONO さん
こんにちは。報告が遅くなりました。「伝家の宝刀」 そうですね! ものすごく納得しました。「この状況でスーパーマン出てきて!」というような状態のときにこそ、力を発揮できるように磨いておかないといけないんですね。
私のプレゼンは、伝えたいことの半分くらいしか伝えられなかったです。がんばったのに悔しい、、ですがこれを糧に精進を重ねます。