教え上手は質問上手

みなさんは、人に教えることと教わることと、どちらが多いですか? オレなんて、まだまだ日々、いろんなことをいろんな場所で学んでいるけどね、まぁ、コンサルにワークショップにギタースクールと、職業柄、やっぱり教えることのほうが多いよね。そうね、20代だったら、まだまだ教わる時間のほうが多いだろうね。で、30代、40代と歳をとるに従って教える側になっていくのかな。

とくに、仕事で部下を持ったり、子供ができたりしたらもう、毎日が教えることばかりって感じになるじゃない。残念ながらオレは子供がいないから、子供の教育についてはあまり偉そうなことはいえない。なんとなく想像はつくけどね。やっぱりリアルじゃない。そこで、今日は仕事の場で部下なんかを指導するときになにが必要かってことを書いてみようと思う。実際に現場に行くと、ほんと、教え下手が多いからね。

まずは、ネガティブなほうからいってみようかな。「こんな教え方はありえない!」って感じのヤツね。そもそも、人になにかを教えるというのは麻薬のようなものってことを理解しなくちゃいけない。なぜか? 人間というのは悲しいかな、常に人を支配したいという欲求があるのね。けれども、とくに現代社会においては、基本的にみんな平等になっちゃったから、支配できるチャンスなんてそうはない。

ただし、家庭内ではけっこうこのチャンスがあったりするんだね。外ではとてもおとなしいけども、家に帰るとやたらにいばりちらす旦那とかそうだよね。あと、子供が被害者になることが多くてとても危険。自分の子供を支配しようとしちゃうんだね。これは母親も父親もやってしまいがち。もちろん、恋愛においてもありがちだね。男性と女性、どちらが支配者になっているかはケースバイケースだけどね。

で、「人になにかを教える」という機会は、実は人を支配できるチャンスでもある。オレにもそういう経験があるんだけど、いろいろ教えているうちに、だんだん頭がぽーっとなってきて、気持ちいいというかハイというか、言葉が止まらなくなっちゃうときがある。そういうときは、教えているんじゃなくて、「教えている自分に酔っている」わけだね。このとこを、いつも肝に銘じておかないと、どれだけ言葉を費やしても相手の胸には刺さらない。つまり、

支配さていると思った側には拒絶感が沸き起こってしまう

ということね。加えて、「自分の知っていることを知らない人に話す」というのも、これまたなんともいえない気持ちのいいものだよね。ほら、よくあるでしょ。普段は物静かな人なんだけど、そいつがマニアックに知っていることをしゃべり始めると、ものすごくトーンが上がっていく人。あれは、まちがいなく、この罠にはまっている。まぁ、世の中にはいろんな快感があるけれど、知識をひけらかす快感というのも、性欲に次ぐ「わかっちゃいるけどやめられない」系なんだよね。

そういえば、「バイラルマーケティング」ってあるじゃない。簡単にいえば口コミね。あれも、「いいと思ったものを人に教える気持ちよさ」をうまく利用した戦略なんだね。企業からお金ももらっていないのに、PR担当にでもなったかのように、会う人、会う人にどんどん宣伝しちゃう。iPhoneとか買った日にはもうすごいよね。オレもやったよ。「コレ見て! すごいんだから」っていいながら、デモンストレーションだよ。マジで、口コミ料もらってもいいくらいの人数に広めまくったね。

はい、つまり、「支配欲」「知識ひけらかし欲」というのは、完全に「自分のため」のものということね。これを100万回くらい自分に言い聞かせるというのが、教え上手になるための第一歩。で、それはしないと決める。じゃあ、「教える」とはなにかといえば、

教えるとは100パーセント相手本意のアクションである

ってことだよね。教える側に利益があると思っちゃいけない。教わる側の利益のために身を捧げる。愛を持って相手のためだけに最良のアクションを起こすってこと。

次にね、わりと頭がいい人がハマリがちな罠がある。頭がよくて完璧主義者の人かな。これにも気をつけなきゃいけない。なにかというと、

答えをすべて教えてしまう

ってことね。つまり、「できるだけ細かく指示を出す」ことが自分の務めだと信じているわけね。「来週までに提出する企画書だけど、この数字とあの資料を盛り込んでおけ。少なくとも、今週末までにはオレに見せること。パワーポイントの枚数は10枚以内に収めること」みたいにね。オレはそういうマネージャーを見ると「小姑のよう」と思うってしまうんだけどね。そもそも、細かすぎる上司というのは、部下からみてリスペクトしにくいじゃない。まぁ、そこんとこはいまは置いておくかな。

おそらく、「できるだけミスを防ごう」としているんだろうね。これも、先の話に通じるんだけど、「だれのために?」って自問してほしいんだよね。おそらく、マネージメントの責任を問われないようにしたいんだよね。だから、先回りして部下の穴を探してそれを埋めようとする。こういうのは、「指導」とか「教える」とかいわないんだよね。なんだろう? 指示? 命令? まぁ、そういう類のことだろうね。

こういう上司に育てられた部下は、間違いなく

指示待ち人間

になっちゃうんですよ。最初のうちは自分で考えてみようとするのだけどね。それを出す前に小姑のような指示がマシンガンのごとく降ってくる。その隙をぬって、「こういうこともやってみたいのですが」と提案した日にはもう大変。その手の小姑上司は、自分のアイデアが完璧だと信じているからね。絶対に却下されるよね。そうしていくうちに、「与えられた指示に従って動く方が楽だ」と思うようになって「指示待ち人間」が1人できあがっちゃう。

さて、じゃあ、この「指示」を「指導」に変えるにはどうすればいいか。とてもシンプルで効果絶大な方法があるんだよ。それは、

自分が部下の穴を見つけたら、質問の形にで伝える

たとえば、企画のターゲットが明確でないとする。小姑なら、

これじゃダメだよ。ターゲットが全然、明確じゃない

って頭ごなしにいうよね。最悪の場合、

この企画のターゲットは“20代の独身女性、結婚を考えているんだけどまだ相手が見つからない。友達は3人くらい。年末の休日にはハワイに行く”だろう!

って先に、事細かく答えまでいっちゃう。これでは、部下は育ちません。そこで、これを質問に変えるとこうなる。

上司:「ところで、この企画のターゲットはどういう人を想定している?」
部下:「えーと、20代女性ですかね」
上司:「20代のすべての女性かな?」
部下:「いえ、独身ですね」
上司:「ほかにはなにか特徴はない?」
部下:「長い休暇には海外に行くようなアクティブな人です」
上司:「君の周りにいる特定の女性を上げるとしたらだれ?」
部下:「えーと、ああ、営業の山崎さんです」
上司:「うん、山崎さんはまさにターゲットだよね。じゃあ、彼女を想定してターゲット像をもっと細かく書いてみたらどう?」
部下:「そうか! はい、やってみます。ありがとうございました!」

ね、文章にするとよくわかるでしょ。小姑上司はたったの1行。教え上手の上司は11行もかけてやりとりをしている。もちろん、この上司は最初から答えを知っているんですよ。知っているけど、答えはいわない。いわずに、部下に考えさせようとしている。この「考えさせる」こそ、「究極の教え」だとオレは思うのです。

もちろん、これをやろうとすると、1行と11行の違いを見てわかるとおり、10倍の時間がかかる。丁寧に時間をかけるからその分、部下は10倍育つわけ。超手前味噌だけど、「遠回りこそ最大の近道」(ZONO)って男塾の名言がある。教えるってのも、まさに遠回りなんだぜ。

繰り返すけど、このやり方だと「支配欲」と「知識ひけらかし欲」はまったく満たされない。部下に質問していてなかなか自分が想定していたような答えがでないと、この2つがどんどん首をもたげてくる。いいたくて、いいたくてうずうずしてくるはずだよね。そこで、もう一度、「教えるとは100パーセント相手本意のアクションである」を思い出してね。ぐっとこらえて、自分のいいところを見せようなんてしちゃだめだからね。

そうそう、さらに、「考えさせる」にはもう1つの素晴らしい副産物があるんだね。それはなにかというと、「自分が思いもよらなかったアイデアを部下が出してくることがある」ってことなんだな。これが指示待ち人間とそうでない人の違い。決裁権を持った人が答えを先にいってしまうと、それ以上のアイデアは絶対に生まれてこない。つまり、そのマネージャーが1人で智恵を絞るしかなくなるわけね。100回に1、2回くらいの低確率かもしれないけど、「あっと驚く」自分の範疇を超えたアイデアが部下から出される可能性があるというのは、とても素晴らしいことじゃない。

ただし、質問の形で聞いてもどうしても出てこないことがあったとする。気づいてもらえないことね。この場合は2つの選択肢からどちらを選ぶか決める。

1)その気づかないことをほおっておくと、部下にとって致命的なミスを犯しかねない場合、質問のやりとりの最後に「あと、ここはこうしたほうがいいと思う」と自分のオピニオンとして伝える。

2)それを気づかずに進めてミスをしても、それほど致命傷にならない場合は、あえていわずに失敗させる。その失敗の結果を踏まえて、もう一度、「どこに問題があったか」を考えさせる。

人は痛みを伴わないと本当のことがわからない。これが重要ね。できれば、失敗させるのがいい。ただし、仕事の中には「これは外せない」ってものがある。それを失敗させるのは部下に酷だから、そこはアドバイスして助けてあげる。この判断を的確にやることが重要ね。

でもって、部下が思いきって失敗できる環境を作るのも指導者の役目だからね。どういう環境かというと、「下手を打っても安心して帰ってこられる場所」に自分がなるということだね。よくあるでしょ。ミスをひた隠しにしちゃう文化の会社。これはこの環境を作れてないんだね。「ミスをしました」って報告した日には、上司から罵詈雑言の嵐。まるで人でなしのようにののしられる。こんな環境だったら、絶対に隠したいと思うよね。

そうやってひどい目にあった企業がたくさんあるでしょ。食品偽装とか、かつての雪印とかね。「よしよし」とまではいわなくていいから、「どうすれば、下手を打った部下が安心して自分に報告できるか?」を考えなきゃダメ。今日のテーマだから、あえて答えは書きません。まぁ、それぞれのキャラクターというのもあるからね。高倉健さんみたいに「黙ってポンと肩をたたく」とかね。いろいろある。

最後にもう一度、まとめとこうかな。

”教える”とは100パーセント相手本意のアクション。無償の愛を持って、答えをいわずに考えさせる。そして、ときにはあえて失敗させることこそ、本当の指導なり!

そういえば、このブログ、休日と祝祭日はお休みにしてるんだけど、さすがにゴールデンウィーク全部を休むというのはどうかと思うわけ。土日以外は書いちゃおうかな。でもね、とくに今年は予定を入れなかったから、オレの大好きな「なにもしないでいい日」なんだよなぁ。だし、連休中にこのブログ読む人なんかいるのかな?

おお、そうそう、たとえば、連休中の特別企画として、「質問受け付けます!」ってのはどうよ。これだったら、質問がなければだれも読んでないってことだから、書かなくていいじゃない。もし、質問があったら期待されているってことだから、がんばって書くよ。なにか困っていることとか、悩んでいることとか、知りたいこととかをコメントでください。そしたら、それにオレなりに答えてみますから。って、質問がくるのとこないのと、どっちがうれしんだろう、オレ。(おわり)

Comments (2)

Taizo165月 1st, 2009 at 2:06 PM

Zonoさん、こんにちは。
現在、私は、仕事自体も社内でも教えるという立場が多くなってきました。
教える側の利点としては、教えようというモノを自分の頭の中できれいに整理できるということがあります。
相手にできるだけわかりやすくということを考えると整理をしていないとできないと思うからです。

あと、選択肢を与えて、私はこう考えるけど、あなたはどう考える?という対話形式で、教わる側の負担の軽減や興味の減少を防ぐことができると思います。

しん5月 2nd, 2009 at 9:15 PM

Zonoさん、こんにちは、しんです。

特別企画ありがとうございます。

リクエストとしては、公の場で自己紹介するとき、プレゼンするとき、最初の第一声が苦手だったりします。
よく見せようとか思ったりしてるからだろうと思っているのですが(汗)
どんな場面でも落ち着いて喋れるというのか、心得みたいなものがありますでしょうか?
#自分がどんな場面、「場」なら楽しんでいるのだろうと考えて、意識あるいは無意識のその状態にもって
 いけば良いのかな~なんて思っています。喋りは好きなんだけど、心配性なんだな~、オレ。(Zonoさん風)

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