メルマガ51号で掲載された内容です。
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わたコラム
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■私は神様にはなれない!
朝の満員電車。
ぎゅ―っと体を押し付けてくるオヤジ。(自分もきっと「オヤジ」なんだろうが)むっとしたり、押し返したり、「なんでこんな時間に乗って
くるんだよ!次の電車に乗れよ!」心の中でそうつぶやいてしまう。
自分では自然な感情、なんの不思議も感じないのだが。
ふと、「神様は全ての人を愛する」という言葉を思い出す。
なるほど、神様だったらこんなときでも、このオヤジを愛するのだろうか。つまり、私は神様にはなれない、ということか。
ちょっと待て。きっと、このオヤジの家族(奥さん・子供)は、このオヤジを愛していることだろう。それにこのオヤジは会社では好かれる上
司かも知れない(そうでないかもしれない)。そう思うと自分の感情に、少々後ろめたさを感じてしまう。
人と人との関係は、複雑で、難しい。
家族、親族、顔見知り、同級生、同期、同郷、同じ釜の飯を食った、ビジネスパートナーといったことでその人との関係性を決める。ちょっとしたこと、ふとした出会いで、人間関係はできあがる。意図せずできあがってしまうことも多い。
そして、実際の仕事・ビジネスがうまく行くとき、それは人間関係がうまくいっているときが圧倒的に多いのも現実である。ということは、仕事をしていくには、相手がどんな人間であっても関係性を築いていくことが求められるのか。いやな上司とも、取引先とも。
しかし、この人とは絶対に一緒に仕事ができない、いやだと思うこともある。そんな感情を否定はしない。それも自分に素直な感情だから。しかし、そのときには「考え方が違う」「生き方が違う」「正義でない」といった、はっきりした理由が必要であろう。
なんの理由もなく嫌ってしまうことは避けるべき、ということか。
ということは、隣のオヤジ、とりあえず嫌う理由は見当たらない。
さあて、隣のオヤジを好きになってみようかな。きっとこのオヤジも誰かに大切に思われているはずだし、神様になってみよう。
次の瞬間、目があった。こちらはすこしほほ笑んだ。しかし、オヤジは無反応。
混んだ車内、みんなが神様になれたら、もっともっとしあわせな日本になることだろう。